清志郎さんと冬物語と共作の日々(1992)
*2024.4.8.加筆修正しました。
「宅録」という言葉が定着したのは、多分21世紀の終わりのこと。それよりもずっと前から、僕は宅録に興味があった。文章や絵と同じように、一人で録音作品を作れたらどんなに自由なんだろう。といつも考えていた。コミュニケーションが苦手だったのも理由の一つ。
(その辺りの心の動きは、ここに詳しい↓)
デビュー後すぐに、予想以上の運命の荒波に揉まれて、閉じこもっていた殻は粉々に砕かれた。アルバムを3枚リリースして、一人きりでつくる音楽の限界を思い知った。孤独な作曲生活が続いた反動で共作・共演願望に駆られて、1991年からは、出会ったミュージシャンに次々と共作の申し込みをした。
特に思い出に残るのは、忌野清志郎さんとの共作だ。
晩年の清志郎さんはみんなから親しみを込めて「ボス」と呼ばれていた。
ステージでの大胆なキャラクターと違って、素顔のボスはあまり目を見ずにポツポツと、そして年下の僕らにも敬語混じりで話してくれる、とてもシャイで優しい、ユーモアを忘れない人だった。
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