1998_火球

新しい出会いと別れ / しし座流星群と夜空の向こう側で (1998②)

*2023.4.22.   目次をつけました
*2020.2.9. 加筆修正しました。

*このエッセイはデビューから2018年までの30年間を1年毎に振り返る連載です。このページ単体で¥200でも読めますが、¥3000でマガジン「ずっと、音だけを追いかけてきた」をご購入いただくと連載の全ての記事(全42話・¥8400相当)を読むことが出来るのでおすすめです。

1998年。忘れられない新しい出会いと、別れの年だった。


1.クラムボン、Super Butter Dogとの出会い

4月27日。パール兄弟のギタリスト・窪田晴男さんに誘われて、西麻布のOjas Loungeというバーのイベントに弾き語りで出演した。

出番を終えると、お店のカウンターでバイトしていた男子が控室にやってきた。キャスケットをかぶった、ひょろっとした青年だった。
「ファンです。実はバンドやってて、今度ミニアルバム出すので聴いて下さい!」なんて話しかけられて、試聴用のカセットをもらった。ちなみにこの頃CD-Rはまだ普及していなかった。音楽の試聴盤にカセットが使われていた最後の時代だったと思う。

「くじらむぼん / クラムボン」と書かれたカセットを眺めながら、心の中で「ああ、宮沢賢治ね、きっとアコースティックな和み系のバンドなんだろうな」なんて思っていた。その日は終演後も一緒にイベントに出たリクオと深夜までお店でブルース(風)セッションをしたりして、深酒してフラフラになりながら、朝方帰宅した。

次の日の昼過ぎ。寝ぼけながら、昨夜もらったカセットがなんとなく気になってラジカセに入れてみた。ゆっくりフェイド・インする持続音を突き破る、三連符のピアノトリオのイントロ。最小限の音数で一曲ごとに違う仕掛けの凝らされたアレンジ。一気にアルバムを聞き終えたらすぐ、カセットに書いてあった番号に電話した。前回書いたように、ネットやメールはまだ広く普及していなかった。人と人が直接話していた、最後の時代。




以来、僕はクラムボンの「追っかけ」をした。リハーサルを邪魔しに行ったり、頼まれてもいないのにパーカッションで乱入したり。「くじらむぼん」のフライヤーでは確か、フィッシュマンズ(そして現・スカパラのメンバーでもある)欣ちゃんとリトル・クリーチャーズの栗原君が推薦文を書いていたと思う。耳ざといミュージシャン達の間でクラムボンは噂になっていた。

僕と一緒にクラムボンのライブを見た浜崎貴司君は、バンド解散後初のソロライブ(1999年)のベーシストにミトくんを抜擢。同じく一緒にライブを観たテイ・トウワ君もクラムボンを気に入って、2000年のシングル「火星」でヴォーカルに郁子ちゃんをフィーチャーした。

そして、テイ君はクラムボンのシングル「シカゴ / 246」(2000年)「サラウンド」(2001年)のアートワークも手がけた。

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以来、僕とクラムボンはお互いのバンドとソロの作品やライブに参加し、幾度となく共作・共演する大事な音楽仲間になる。

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