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あれから5年①

30周年記念にnoteに自伝的エッセイ「ずっと、音だけを追いかけてきた」を書いた。あれから5年が過ぎた。

その5年間には、コロナ禍という史上稀に見る世界的な混乱が横たわっていた。皆さんそうであったように、僕も、仕事や生き方を根本的に見直すことになった。特に音楽を生業とする我々には、2020年・ロックダウン期からの2〜3年ほどの影響はとてつもなかった。

今となっては不思議な気すらするけれど、本来音楽はライブでしか楽しめない、その場限りの儚いものだった。100年ほど前レコードが発明されて、人々は「音を記録できる魔法の円盤」に熱狂した。ラジオやテレビの普及が後押しして、音楽を商品として売るビジネスが世界に定着した。やがてレコードはCDに代わったが、「音の円盤」は二十世紀の間ずっと、人気商品だった。

ところが2010年代以降、携帯音楽プレイヤーやYouTubeやサブスクの普及に押されて、CDの売上は激減していった。ミリオンセラーに熱狂していた日々は過去のものとなり、ミュージシャンはライブを中心にお金を稼ぐようになった。音楽フェスが世界中で流行った。音楽が本来の「形のないもの」に戻った「先祖返り」だったのかもしれない。

2020年、そこに突然コロナが世界を閉じ込めた。人の集まりは禁じられた。ライブ会場で騒ぐ、そんな当たり前のことがタブーになってしまった。
ミュージシャンは慌てた。リモートでセッションができないだろうか? 無観客で配信ライブをしよう…あの手この手を尽くした。
これは僕が取り組んだ「新生音楽(シンライブ)」という配信ライブの記録。まだ配信ライブがそれほど一般的じゃなかった頃の挑戦だった。

僕は40年以上前、高校生の頃からずっと、一人で音を重ねて音楽を作る「宅録」のスタイルで音楽を作ってきた。ステイホームしなきゃいけないなら、家でつくればいいじゃないか、と開き直り、とにかく宅録を続けた。bandcampという配信サイトから、作った作品をどんどん発表していった。
宅録は世界の音楽のトレンドになって、YOASOBIを初めとしたラップトップで音楽をつくるアーティストが日本にも多く現れた。

今しかできないことをしよう。どうせライブができないのなら、いっそのことライブのことは全く想定せずに自由に音を作ってみよう、そう思った。テクノポップ、エレクトロ、アンビエントなど、シンセや打ち込みの曲がたくさん生まれた。
YMOが好きだった自分のルーツ、80年代に夢中だった音楽の原点に戻ってきたような気がした。

(その②に続く)


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