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読書感想文:響きと怒り/フォークナー

フォークナーの響きと怒りを今更(2003)買った。言ったかどうか忘れたし、それを言う前にきちんと読んだことがあるかどうかも怪しいのだが、どちらにせよ内容を全く覚えていないので読んだことがないことと変わらんだろう。


フォークナーをパラパラとめくってみたのだが、外国文学の翻訳で、訛のある言葉をいつも東北弁(らしきもの)に翻訳するのは何故だろうとかちょっと嬉しくない気分になってみたり。

私はどちらかというと西の方の出身で、東北弁は耳慣れないのだが、そう言う問題ではなく、外国の昔の小説の田舎者の訛を表すとか、封建時代の下層階級とされた人々の、そう言った言葉を表す時に、どうして「東北弁」らしきものを選択するのかなー、と思うのだ。そこには、やはり東京という土地を起点として、東北からの集団就職とかそういう時代の影がある気はする。
訛とか雰囲気とかを表したいのは分かるんだがが、アメリカの南部なぞ、日本の東北とは全然気候風土も違うわけだし、それを無理に日本の方言に訳さなくてもいいような気がするわけだが、そうすると、今度は訛のあるきつい言葉だということが分からなくなるし、難しいなあとは思う。

内容の筋立てとはやや逸れるが、フォークナーの作品からは焼けつくような焦燥が感じられる時がある。南部と北部、これはこれで当時の時代背景を反映し、価値観との不協和音を鳴らしているようにも思う。

とりあえずアル中が多かったのはまあ分かる。

(2003年 つらつらと、本題とは関係なく綴っている。アメリカ社会もまたアメリカなりに歪な価値観の衝突があった。とりあえず酒が飲めることが男性性と強さ(表現しがたいがこう言っておく)の象徴だったために、フォークナーはじめ大量のアル中を生み出したことは間違いない)



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高梨 蓮
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