はじめまして
About me
はじめまして。髙浪と申します。
現在公立学校で20年弱教員を務めています。
数十年前、小学校入学の年、私は「学校」「教師」の理不尽さに耐えきれず、小さかった7歳の私は、心を壊して学校から抜け出しました。
当時少なかった「不登校」児童となりました。
人とは違う選択を自らしたのではなく、そうするほかなかった私は
「学校に戻る」ということが、自分が成長した証と信じ、復帰をすることを目指して生きてきたように思います。
自分の好きなものや大切な人との時間、自分の好奇心に癒されながら、
「学校」へと戻り、異様な執着心で「学校」へと就職し、この長年連れ添った「学校」への違和感を脱却できる日を夢見て走ってきたのかもしれません。
しかし、学校・教育への疑問は、いくつになっても気持ちよく消えていくことはありませんでした。
目の前の子どもだけを見ていればできることは山のようにあります。でも、毎日やってくる競争・比較・評価・当たり前・承認・嘘・本音と建て前。子どもと共にいる大きな「教育」「学校」という枠組みが、どうしても人が人として生きていくための力を養う場として、本当にこれでいいのかと悩み、行動し、戦い続けてきました。内から戦うことでしか、変えられないのだと。でも私は間違っていたと思います。
戦って、救われる人もいる。しかし、戦って変わらないものもある。
そして、戦うことで傷つく人もいる。と。
私は、私自身を一番傷つけてきたような気がしています。私は、戦うエネルギーでこれまで生きてきてしまった。もちろんそれで救えたこと、変えられたことも多々あります。でも、私はそれを幸せとは思っていなかった。
私は、今年、戦う土俵から降りることを心に誓いました。
それが、このnoteを始めたきっかけです。
戦わずして、愛をもって、教育を社会をほんのひとかけらよくしていくこと。そうやって生きることをこれからの目標としたいと、そう思っています。
これから
公立学校にこだわってきました。それは、教育の現場で唯一、選ぶこと、選ばれることのできない多様性に開かれている場だからです。
まずこのこだわりを捨てることから始めます。
教育は あらゆる場に 転がっているということ。
生きている命がある限り、教育は 目の前にあるということ。
私は教える人であり、教えられる人であること。
望み
私の望みは、未来の大人である子どもも含め、私達すべての人が人を自分を大切にしながら生きていく社会を作っていく一人になることです。
そのために、目の前のコミュニティに働きかけることを続けてきましたが、どうしても自己犠牲をしてしまう癖がついてしまいました。
まずは、今の公立学校から離れ、私がよりよい社会の一員として行動できる豊かさを身につけることから始めたいと思っています。理不尽さと戦う癖をとりたい。そのためには、この場から一度離れることが必要だと思っています。
そして、自分の常識が通用しない場で、学んでいきたい。そう思います。
どうぞよろしく
書くことは、私にとって、実現に向けた一歩です。
はったりかもしれない。きれいごとかもしれない。
それでも、文字に起こすことから 現実は動き出している。そう信じています。
どうぞ、今後ともお付き合いください。