議論と言うアリバイ

前回、とある有名アスリートのツイッター
「言いたいことを言って議論すべきだ」
について、主に
言いたいことを言っても良いことはない
と発言しました。

次は「議論すべきだ」についてです。
議論って成り立つのでしょうか?
個人的に議論とは
強い人間が自分の意見を貫くためのアリバイとしか思えません。

議論しても大体が
声の大きい人間の意見
(善悪は別として)多数の意見
(議題は関係なく)何かしら実績のある人の意見
このあたりが通ることが多いです。

当然と思えるかも知れませんが、裏を返せば
何を言ったかではなく誰か言ったかで議論が完結してしまうのです。

これって本当に議論なんでしょうか?

前回の、言いたいことを言う、もそうですが
誰が言ったかで物事が決まる今の風潮で、発言することは何の得にもならないケースが多いような気がします。

議論する場合はルールがないと意味がありません。
論破するか否かできめるのか、多数決で決めるのか第三者に聞いてもらい決めるのか…

結局、言いたいことを言わせて議論した(アリバイを作る)のが、とある人にとって一番都合が良いことになるだけです。

その証拠に、とある有名アスリートのツイッターに対するリプライは賞賛の嵐でした。

なみさん

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