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”当事者”じゃないから語らないのはもうやめる 阪神淡路大震災とわたし

何か大きな事柄が起きたとき、まさにその渦中にいる人や1番大きな被害を受けた人のことを”当事者”という。自分が記者だったときも、事件や事故の取材をする中で、常に”当事者”を探していた。ライターをする中でも、取り上げるのはやっぱり当事者。1番その事柄について語れる人=当事者だと。

辞書を引いてみると、「当事者」とは「その事柄に直接関係している人」のことをいう。でも、当事者か当事者じゃないかって、線を引いて真っ二つに分けられるものなのだろうか? きっと、その間にたくさんのグラデーションがあって、分けるのは難しいんじゃないかなあ。そう考えるようになったきっかけがある。

小1の時に兵庫県伊丹市で被災した

30年前、阪神淡路大震災が起きた。当時小学校1年生だった私は、出身地である兵庫県伊丹市に住んでいた。

その日、まだ1人でベッドで寝られなかった私は、夜中に父と母の寝室に潜り込み、父のベッドと母のベッドの間で寝ていた。

早朝5時46分、揺れた。めちゃくちゃに揺れた。寝ぼけ眼だった私は何が何だかわからず、揺れて動いたベッドとベッドの間の床に落ち、はっきりと目を覚ましたが、何がなんだかわからない。母が叫んで、私を床から引き上げたその感触は、今でも覚えている。父は飛び起きて大きな声を出しながら、1人で子供部屋の二段ベッドの上で寝ている姉の様子を見に行った。二世帯で住んでいたため、1階に住んでいる祖母の様子も見にったらしい。2人とも無事だった。家も無事だった。

家族がみんな起き出してリビングに集まり、NHKのニュースをつけた。そこから次に私の記憶に残っているのは、阪急伊丹駅の様子。電車通学をしていた私は毎朝最寄り駅である伊丹駅を利用して学校に通っていた。その日も、7時前には出発して、電車に乗るはずだった。その伊丹駅が、信じられない姿に変わっていた。駅舎が完全に倒壊していた。幼い私の目には何が映っているのか、何がなんだかよくわからなかった。

ただわかったことは、もし、あと1時間遅かったらあの電車に乗っていたかもしれないということ。その恐怖は、小1だった私の体にずしんと重くのしかかった。

自分は被災者か、被災者ではないのか?

それからしばらくの間余震が続き、私たち家族はリビングのこたつで寝泊まりするようになった。いつ余震がきてもすぐに対応できるように。リビングのテレビではずっとNHKが流れていた。テレビ画面には、地震の犠牲者の方たちの名前が流れ続けていた。

私は余震が怖くて、トイレに1人でいけなくなった。トイレの前に母を立たせて、「いる? そこにいるよね?」と何度も確認したことを覚えている。

でも私の家族はみんな無事だったし、家も小さな亀裂が入ったくらいで無事だった。近隣では珍しく、すぐにお湯も出たから、親戚がうちの家にお風呂に入りに来ていたくらいだ。友達もみんな無事だった。

だから、私は被災者ではない、”当事者”ではないのだと思いながら大人になった。学生時代はずっと関西で生活していたから、震災の話は当たり前すぎて友達と改めてすることもなかったし、家族でも特に話したりすることはなかった。そんな私が初めて自分を「被災者」の1人なのかもしれないと思ったのは、割と最近のことだ。

「語らない」のはもうやめよう

あれから30年近く経ち、自分自身の子供を含め大きな地震を経験したことがない人も増えた。阪神淡路大震災は関西では語られることも多かったが、首都圏に引っ越してきてその様子はがらりと変わった。語られないと、話題にも上らなくなる。

そんなことを実感してきた頃、受験生の子供が、社会の教科書で「阪神淡路大震災」という言葉を暗記し始めた。いや、違うよ。文字ではそうだけど、なんか違うよ。一気に私は子供に語り出した。

「お母さん、小1の時に経験したんだよ。すごい揺れでね、数ヶ月間学校に通えなかったんだよ。最寄り駅が倒壊しちゃったんだよ。多くの方が犠牲になって、お母さんの通ってた小学校でも、亡くなった方がいたんだよ。」

止まらなかった。伝えなきゃいけない。伝えたい。そんな気持ちが溢れ出した。子供はちゃんと話を聞いてくれた。

それからは、自分の震災での体験はできる限り語ろうというマインドに変化した。文字だけでは表せない、実際に起きた出来事であることだったら私でも伝えられるし、なんなら私にしか伝えられらない経験もあるはずだ。

そんな中、NHKニュースを見ていて飛び込んできた数字がある。

震災の体験や教訓を誰かに伝えたことがあるか(回答数:1269人)
「ある」…46.8%
「ない」…53.2%

“教訓って何?” 阪神・淡路大震災30年 被災地からの問い(NHK)

「自分なんかに語る権利ないかな」って思っていた私は、やっぱり違っていたよなぁって思う。自分の体験を語る上では、当事者か当事者じゃないかで線引きしないでいいのかもしれない。

どんな出来事でも、一番つらい人や悲しがっていい人が区別される瞬間があると思う。でも、「つらい」「つらかった」「こうしたらよかった」「今後のためにこうしていこう」って言っていい人って限られているわけじゃないんだから、話していいんだよ、話したほうがいい、できるだけ、それぞれのスピードで。

当時余震が怖くて1人でトイレに行けなかった私のことも、今私が語ることで、その相手に何か手触り感を残せたらそれでいいのかもしれない。そう思って、震災から30年のこの日にnoteを残します。

非常によくまとまっていたページだったので、リンクを貼ります。もう二度と、大きな被害が出ないよう、自分にできることを考え続けたいです。

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