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人生と一致した情報発信のコンセプトとは

こんにちは、高本です。

今回は情報発信を始めるにあたって考えておきたいことについてです。これまで断片的な話はしてましたが、いざ実際に始めていく時のまとまった話は出来てなかったと思います。というわけで、大前提として情報発信をどんな風に捉えると面白いのかということと、その解釈におけるコンセプトの考え方について見ていきます。

目次としてはこんな感じで、

・人生と情報発信のちょうどいい距離感とは
・最もシンプルなコンセプトメイキングの2ステップ
・コンセプトからコンテンツが生まれる流れ

上の2つが今回のメインテーマです。

まずはなぜ情報発信であるべきか、ということも含めて、人生における情報発信の役割や立ち位置について改めて考えます。そもそも「自分にとって情報発信とは何であるか」という根本的な部分がはっきりしていれば、大枠の方向性を見失わないし、何のためにやってるんだろうということにもなりません。

そうすると、結果的に長く続けていけます。僕は情報発信においては、やめないことが最も重要だと思ってるんですが、そのあたりについても見ていきます。

その上で、そんな前提における情報発信のコンセプトについて考えます。これは発信の方向付けや文脈づくりをするものです。メディアや媒体という、インターネット上の空間にコンテンツが配置されることで発信が成立しますが、コンセプトというのはその空間における世界観のようなものです。

これがあるから、似た内容でも意味するものが変わってきます。日本で寿司と言えば握りずしですが、アメリカではカリフォルニアロールが出てくるようなものです。いろんな概念の定義が、そのコンセプトから降りてくる形で自然に決まってきます。

このコンセプトがあるから、それぞれのコンテンツがバラバラにならずに互いに関係付いていきます。やっていく中でまとまっていく部分もあるので、あまり頭でこねくり回して考えすぎるのもよくないんですが、とはいえ明確になっていたほうが発信していきやすいのは間違いないので、ひとまず最低限これだけあればという3つの要素 + α を見ていきます。

それでは早速!



人生と情報発信のちょうどいい距離感とは

まずは「なぜ情報発信であるか」という確認も込めて、人生において情報発信をどこに位置付けて、どう向き合っていくと面白いのかという話をしてみようと思います。


エネルギー循環装置としての情報発信メディア

この言い方はよくしているのでいまさら感も否めないですが、なぜ情報発信したいのかと一言で言えば、「エネルギーを循環させたいから」ということになります。自分が進みたい方向に向かっていく中で獲得したエネルギーを送り出す、届ける、分かち合う。それによって物語が爆裂に進んでいく。そんなエネルギーの受け渡しを勝手にやってくれる場として装置として捉えたいわけです。

自分の体験や経験や学びをコンテンツという形で格納して配置しておけば、あとは勝手に不特定多数に届けてくれます。そして届くべき人に届いていく中でフィードバックがあって、その人も巻き込んだ形で次の展開になっていきます。

これがざっくりとした情報発信自体の意義なんですが、ただ始めるのは別に誰でもできます。適当に文章書いて送信・投稿すれば、それで情報発信です。でも僕はその中でも人生と一致させた形、分離しない形を推してるわけですね。情報発信という活動を、自分の人生に組み込まれた形でやるのがいいと思ってます。


人生と一致した情報発信である意義とは

メリット的な話では自己理解が深まる、やりたいことがクリアになる、人間や世界の理解が捗る、物を見る視点が増える、思い切った決断をする外圧になる、とかいろいろありますが、とにかくこの形が一番面白い。

個性を消したり別の人格でやっても意味ないし、美味しいところを味わえません。そして続けられません。頑張ってひねり出して書いた文章は面白くないので、誰のためにもなりません。やってて楽しくないし人が読んでもつまらないし、何してんの?というかんじになってしまいます。

というわけで、人生と一致させるとどうなるのか、という話をもう少しだけ掘り下げてみます。

なぜ芸能人にはオーラが宿るのか
そもそも情報発信は人に働きかける行為なので、常に外部からのフィードバックがあります。評価されないこともその一部というわけです。だから重要なのは、内容が面白いかどうかです。面白くないものは見られません。で、コンテンツは自分から生まれてくるものなので、結局本人の生き方が関わってきます。適当にみんなと同じように過ごしてる人から生まれてきたものでは、人を惹きつけることはなさそうですよねw

例えば、芸能人からオーラを感じるのは、常に人前に出る仕事だからですね。見た目とか細かい表情に常に気を使ってるから。モニターに映る自分の表情が暗ければ、ちょっと口角上げてみたりもするでしょう。そうやって毎日フィードバックが働き微調整を繰り返すから、一般人と並んだ時に、雰囲気が全く違ってくるわけです。
僕たちは基本的には文章がメインだから、文章やそれを生み出す書き手の人間性そのものにフィードバックが働きます。平均的な考え行動習慣では他人との違いがないので、そんな人から出てきた文章は面白くない可能性が高いです。じゃあ、「もっと自然と面白いものが生まれてくるような状態であろう、そんな人間であろう」っていう、外圧や強制力も働いてきます。


情報発信と人生の相互触媒的な発展
僕もそうですが、最初始めるときは「この自分で何も言えることないな」って思うんですね。好きなことや打ち込んでることがあったとしても、人に言えるほどではないなと。でも、じゃあ普段の生活の中でどんな風に物事を捉えて、どんな人にどこをどう強調して伝えれば面白いかな、と考えるようになっていきます。
さらにそんな繰り返しの中で、
・自然とこんな見方をしてしまう
・こんな話題が多くなりがち
・これについてなら、いくらでも言いたいこと溢れてくる
というのも出てくるだろうし、普段なら選ばないような選択を取ることも出てくるかもしれません。でもそれは別に突拍子もないことをやらないといけないのではなくて、周りを気にせずただ純粋に自分の好奇心や興味に従って動けばいいと。
こうやって情報発信と自分の人生とか生活を一致させて、相互触媒的に発展させていくから面白いわけですね。そうなってきたときに、結局一番大事なのはやめないことです。


一番大事なのは止めないこと

情報発信で一番大事なのは、やめないことです。まず発信者目線では、自分の人生を一体化させて進めていくところに旨味も面白みもあるので、極端な話をすれば一生続くようなやり方をしたいんですね。基本的にやめるというのはあり得ないわけです。

というか、やめたくなるのはやり方を間違えてる可能性が高くて。頑張るニュアンスが強くなりすぎてます。もちろん瞬間的にやる気が出ないとか、低きに流れるとかはあるんですが、でもだからと言ってやめる理由にはなりません。

情報発信をやめたくなるのは人生と分離しているからだ、と言える理由
なぜかというと、情報発信のメディアや媒体はあくまでも場であり、容器です。そこに、これまで蓄えてきた経験や知識や経てきたプロセスというエネルギーを、あなたが関わっていきたいような人、もしくはその機能を提供できる人にとっての価値になるように変換して、おいておく場所です。

だから人生の物語が進んでいく中で興味関心が変わり、それによってその発信に反応する人が変わることはあっても、やめたいことはないはずなんですね。続けるのが苦しくてしんどくてもうやりたくない、やめてしまおうとはならないはずです。

だって自分がそうありたい生き方だったり、人生をちゃんと遊んでいこうと思って過ごしていれば、日常の中でその観点から色んな学びや体験があります。それを共有したり分かち合うことは喜びであるはずです。情報発信によってエネルギーの循環を生み出すことが、この先どんどん面白い展開を巻き起こしていく一番の近道だと確信しているから。それが人生と一致してる状態ですよね。

つまり、やりたくなくなるのは情報発信が日常とか人生と分離してるからなんですね。僕は、一番最初ブログを始めたとき、何をどう書けばいいかわからなかったので、当時しこたま読んでた自己啓発本をテーマごとに適当にまとめて投稿してみました。習慣化のやり方とか。そうすると当然、途中で「何がおもろいねん」ってなるわけです。

「自己啓発本の内容をまとめて文章にして発信する」という一連の行為が、僕のおもろいであろう人生のラインに一ミリもかすっておりません。宙に浮きまくってます。謎の時間です。だからちゃんと自分の人生や物語と情報発信を統合させておきたいわけですね。

技術も結果も理解も指数関数的に向上していくものである
技術も結果も続けていれば指数関数的に伸びていきます。最初は一つ記事書くのに丸一日かけたり、何とか書いたと思ったら800文字ぐらいしかなくて泣きそうになりますが、やっていればパターンができてきたり、クオリティの最低ラインも上がっていきます。

理解についても、大学院の時の話なんですが、あるとき教科書を読んでたら大学1、2年のころによくわからなかったことが、急に全部一気につながって「そういうことやったんか!」ってなることが増えてきたんですね。サイバー的な空間に浮かんでる断片に電気が通って全部つながって回路ができていくみたいな感じで。

で、これは何が引き起こしたのかというと、やめなかったというだけなんですねw5年ぐらい学んできた中で、部分的にしか理解してなかったことが、その瞬間に1つの体系にまとまっていきました。

情報発信についても自分の人生についても、毎日継続して時間を費やしていればどんどん解像度が上がっていきます。繰り返し何回も向き合っていく中で何層も上書きされて強固な理解になっていきます。続けてるだけで解決される話です。

読者に対する責任
やめないことは読者に対する責任でもあります。あなたの主張や世界観への信頼性・共感性に関わります。僕は情報発信するにあたっていろんな人の発信を見てきましたが、3年前で更新が止まってたりすると、どんだけいいことを言ってても一気に信用がなくなるんですね。「いろいろ言ってたくせに、活動そのものがしんどくなってますやん」って思ってしまいます。「無理してたんだなあ」と。その人にとって自然ではない形だったということです。

発信に対する考え方が好きでよく見てたブログがあったんですが、ある時多くの記事が見れなくなってたんですね。で、メルマガも登録してたので、その人からのメールを探してみると、「自分の発信に違和感が出てきて信念がぐらついてきた」と。だから一旦休止しますって来てまして。それって途中でその人の物語から、情報発信が分離したってことなんですね。

でも数か月後、「休止してた期間に学んでた占いがだいぶ身についてきたので、今後はたまにそんな話をしていけたら」って言ってたんですね。で、僕はそれはすごい誠実だと思うのです。元のやり方では続けられなかったけど、今できる形でまた合流したわけです。だから情報発信そのものが嫌だったのではなくて、その元々のコンセプトから離れるタイミングだったということですね。

これもそうですがやっぱり現役であるという事実は、主張を成り立たせる重要な要因であって、読者に対する責任になってきます。

というわけで、続けること、そんなやり方であることが正義なんですね。最初は誰でも何でもないただの人なので、そんな人の話に誰かが興味を持つことはありません。だからそんな中でもやっていけることに価値があります。そんな中でもやってたいと思えるからやるわけです。

結果だけを見る人が落ち込みそうなときに、自分の活動に没頭したり、時にはどうすればもっと良くなるかなあ、と取り組めるから徐々に成果も出てきます。だから続けられるやり方を目指したいのですが、それには自分の人生と分離させない形がいいわけです。これにエネルギーを注ぐことと人生が面白くなっていくことがイコールになってれば勝手にやってしまいます。


ここまでのまとめ

ここまで見てきたことを踏まえると、結局

・人生と分離しない情報発信であること
・情報発信によってエネルギー循環を巻き起こし、物語を進めていくこと
・発信をやめないこと

この3つは全部つながってるわけですね。

情報発信によって自分の人生を丸ごともっと面白ものにしていきたいのだから、人生や人格と分離したやり方では意味ないし、逆にそうやって一致してるから前のめりに取り組みたくなって続けられるし、続けられるからこそ循環が停滞することなく大きくなっていき、盛大な人生に突入していく。

こういう風に捉えるとわかりやすいですね。この後は、この前提を踏まえた情報発信のコンセプト作りについて見ていきます。


最もシンプルなコンセプトメイクの2ステップ

ここからはコンセプトについてですが、人生と分離させないというのが前提なので、まず自分の人生の在り方を考えるのが大事になってきます。そこで人生の軸や方向性が出てきます。つまり、人生の軸から情報発信のコンセプトに降ろすという2ステップで考えます。

最初に自分を中心において、それを外に広げる形で、外部との接点ができるというイメージです。それを自己実現と他者貢献という言い方で考えていきます。人生と情報発信の一致は、自己実現と他者貢献の一致と言えます。


自己実現を中心に据える

これは人生と一致させるというこちらからの目線でもそうなんですが、発信の受け手からしても、こちらが人生レベルから降ろしてきたうえで発信することには意味があります。これまで何回か言ってる気もしますが、コンテンツ自体には価値がないからですね。インターネット黎明期ならまだしも、誰でも簡単に発信できるようになった今では、コンテンツそのものに価値はありません。

だから「誰が言ってるのか」を気にされます。好きでもない人の話を聞く人はもういないということです。つまり、こちらとしてはコンテンツに人間味を感じてもらい、その上で「こいつなんかちょっと面白そうやな、もうちょっと見てやるか」と思ってもらわないことには、独り言の垂れ流しです。そのときに、「何のためにどこに向かってどんな思いでやってるのか」ということが大事になってきます。

わざわざ毎回直接的に言わないにしても、そこまで考えた人の文章かどうかは確実に伝わります。普段よく見るYouTubeチャンネルやブログでも、そんな雰囲気が感じられるんじゃないかと思います。具体的には、理想の世界と根本原因という形にまとめられるのがいいですね。

「自分はどうなりたいのか、どこに向かっていきたいのか」
「じゃあそれが今実現されていないのはなぜか」

の2つ。

この段階では人にどう見られるかは一切考える必要がありません。ひたすら自分の人生と向き合うだけです。それが結果として、その人がその発信をする意味になってきます。自分に正直であるというのがめっちゃ大事なことですね。ここで取り繕う人が、後からしんどくなる人です。


他者貢献の3+1

それが完了すれば、次は情報発信のコンセプトの形に降ろします。人生側のほうが大きな概念なので、集合的にはこういう感じです。
「人生のテーマ、軸、コンセプト」⊃「情報発信のコンセプト」
ここからがやっと情報発信のコンセプトです。コンセプトは器なので、これを先に用意してそこにコンテンツをためていく、というかコンセプトのフィルターを通過することで、ただの情報がコンテンツになるイメージです。

フィルターというのは、関数 f みたいなものです。これに発信する内容や言いたいことという x を代入すると、f (x) というコンテンツが出来上がります。何かを伝えるときの文脈を設定するものです。ここは時間をかけてしっかり整理しておいた方がいいです。

やっていく中で洗練されていく部分もあるので、動けないぐらいなら先にコンテンツ作っていくほうがいいんですが、かといってここがあやふやだと各コンテンツがバラバラになってカオスになるので、「全てある場所に向かうための物ですよ」って受け取ってもらうために必要です。

コンセプトがないと、読み手も「何のためにこんな話してるん」ってなりますし、こちらとしてもどんなスタンスで書いていいかわからなかったりします。どこに着地させればいいかもわからなくて、気持ち悪くなって書くのやめようってなります。情報の羅列にならないためには、それが「何のためにあって、どう使うことでどうなれるのか」ということが伝わる形が望ましいです。

今回はひとまず最低限の形を整えてスタートしていく、すでにスタートしてるんであれば持続可能な形に整える、というのが第一目標なので、

・理想の世界
・根本原因
・ターゲット
・+α

という3+1の形にまとめられれば、ひとまず問題ないです。

理想の世界
初めに人生レベルから考えましたが、次は情報発信の場におけるゴールを考えておきます。

「読者はあなたのコンテンツを通してどんな状態になれるのか、どこに到達できるのか」

というものです。あなたには自分自身の理想の世界やゴールがあって、そこに向かっていくためにこれまでやってきたこと、今取り組んでること、これからやっていきたいことがあると思いますが、その一部を切り取って情報発信の場に落とし込むわけです。

例えば僕のブログだと、「人生ちゃんと遊ぶ」というテーマで区切って切り取って、そこに対応してるものを発信してます。この発信で僕のすべてが完結するわけではもちろんありません。だから情報発信としての理想の世界というものがあるということになります。

キャッチコピー的に人生ちゃんと遊ぶって言ってますが、もっと細かく見れば人生の方向を見立てる、エネルギーを循環させていく、感覚を磨いていく、主人公感を高めていくというのがあって、めっちゃ雑に言えば、僕も含めてみんながこれが全部最強になれば理想の状態ということになります。そういうイメージです。だからこれもあなたの人生の側から分離しない形で、情報発信という世界における理想の姿やゴールを見立てるわけですね。

根本原因
もう一つは根本原因です。

「じゃあなぜ理想の世界が現実になっていないのか」

という理由に当たるものです。情報発信の中でこれを解消する中で理想に近づいていくという感覚です。根本原因は抽象度の高いところに設定したほうが、奥行きが出てきます。具体レベルに降ろした時に、いろんな行為が解決策として含まれていきます。読者からしてもいろんな切り口から発信されるので、腹落ちしやすいわけです。

分かりやすいので英語で言いますが、「英語でコミュニケーションできるようになる」という理想の世界があったとして、「発音」が根本原因だとすれば、じゃあ発音がよければ英語話せるのか、ということになってきます。それよりもっと根源的には、発音がネイティブレベルでなくても喋れるメンタリティが重要かもしれないですよね。

その場合は、「メンタルブロックを外す一つとして発音の向上がある」という構造で捉えられます。そうなれば日常生活のいろんな行動を、理想に向かってメンタルを鍛えるものとして伝えていけるわけですね。「それ力」を高める行為として、ジャンルを横断できるようになります。

さっきの感覚を磨くという話で言えば、異文化に触れる中で感覚を磨くという形で海外の話もできるだろうし、アマゾン川とか宮古島の海での体験も身体感覚という文脈でコンテンツになるだろうし、勉強も頭の中の世界が広がることによって引っ掛かりが多くなるという意味で、感覚が磨く行為だと再定義できるかもしれない。今のところは別にそのつもりはないですが、聴覚とか指先を鍛えるという形で、ギターの話もできるかもしれないですよね。

「ギターをやりはじめたことで、こんな風になりました。それまでの僕は○○で、□□だったんですが、ギターやってから歌を聴くときでもメロディーだけじゃなく、その奥で鳴ってる楽器にまで注意が行くようになりました。そしたらこんな発見があって~~で、バンドやりたくなったんですね。で、バンドやり始めるとこんな風になってきました。だから○○を高めていく行動として、楽器を始めるのはおすすめです。今度そんなワークショップを企画してるので、ぜひ参加してください」

みたいなことも言えてくるわけですね。めちゃめちゃ適当ですけど。

・もしもブルーロックの主人公が情報発信をしたら、、、
例えば、この記事でもちょっと扱ったんですが、サッカー漫画の『ブルーロック』では主人公の理想は最強のフォワードになることで、根本原因はエゴです。僕は猛烈に序盤しか読んでないので、今どんな話になってるか全く知らないですが、仮の話としてこの主人公が情報発信するとどうなるのか考えてみるとわかりやすいですね。

「サッカーというジャンルで、最強のフォワードになるという理想の世界を掲げて、エゴという根本原因を高めていく」

という発信になります。この人の発信を通して読者はそんな理想に近づいていけるというわけです。この主人公自身、まだ自分の目指す状態には慣れてなくても、この人の発信に興味を持つ集団の中では、一歩抜き出た存在なはずです。

フォワードを目指してるが伸び悩んでる人に、「あなたが伸び悩んでるのはエゴが足りてないからです」と打ち出していくことになります。その主人公はそれまでエゴを高めていくために色んな試行錯誤をしてきたはずなので、その経験や知識や方法論や、感情まで含めた物語があるはずですね。それを一つ一つ出していきます。

じゃあサッカーに活きるエゴを伸ばしていくために、普段の会話から主体性を出していこうという形で、コミュニケーションを切り口とした話ができるかもしれない。なぜエゴが大事と思ったかというストーリーもコンテンツになるでしょう。

漫画では、「全国大会の予選で、ゴール付近で味方にパスしたものの、そいつが盛大にシュートをミスって負けた」という回想シーンがあったので、プロフィールにはそんな話を書けるかもしれませんよね。プロフィールに書くかは別としても、絶対そんな話することになるし、した方が共感してもらえるし、読者からしても、そんな過去があった人が今こんな状況になってるって思えれば、その人の話聞きたいですよね。説得力も出てきます。

じゃあ例えば料理してて、この食材の主張が強いなと思った時に、それをその食材という集団の中でエゴが強いと見立てて、これってサッカーで言えばどういう状況?とか、その食材は何が他と違うのか、という観点から「エゴとはつまり何か」と展開できるかもしれない。

好きなバンドのライブを見れば、「メンバーのエゴのバランスはどうなってるかな」と気になるかもしれないし、バラエティで女性タレントが空気読まず前に出てきたら、「このエゴはよくないエゴだな」とも思うかもしれない。

もっと言えば、これらはコンテンツの面白さや幅広さにはもちろん貢献しますが、エゴはこの主人公の人生において重要な概念になってるので、単純に視点が一つ増えて日常をより面白く見ていけるわけですよね。

読者目線では、結局エゴを高めていいフォワードになるというコンセプトをわかってるから、どんなジャンルの話が出てきてもちゃんと意味あるものとして受け取ることができます。そうなると、そんな切り口からサッカーの話してる人が他にいないから、その文脈のコンテンツを摂取するには、その人じゃないとダメになってきます。こうやって勝手に差別化されていきます。

という感じでコンセプトという大枠の部分がしっかりあれば、その時々で自分が興味持ってることや体験したことを、そのコンセプトの文脈に沿った形で届けることができる。それがまさに自分の物語を生きる中で得たものを循環させていくということですね。

これもやってるうちに修正されてくる部分もありますが、最初の段階である程度明確にできていれば、発信するときもそこに沿った形でやればいい、という一つの補助線になります。


読者像
そして3つ目は読者像です。最初の内は特に

「それを誰に言うのか」

をはっきりさせておきたいです。これはこの2種類あるとやりやすくて、一つは過去の自分、もう一つはそんな話をできる友達や近しい人です。

①過去の自分
これを考えるときに、そもそものコンテンツの種類についてみておいた方が考えやすいので、そっちを見ておきます。コンテンツを作る上では2つの軸で考えるとよくて、基本的には問題解決かエンタメ。役立つか面白いかと言ってもいいですね。この2つをどんな割合で配合するか。極端に言えば、役立つ100%は辞書とか wiki で、面白い100%は youtuber とか tiktoker とかのインフルエンサー系ですね。

僕たちはそのどちらも目指さないので、基本線としては役立つものでありながら、読み物としての面白さを追求していきます。だから読者の問題が解決するような、役立つようなコンテンツがメインになってきます。それは自分自身ができなかったかったことができるようになった経緯や、悩みを解消するために取り組んだことになります。

当事者としての経験があるから、うすっぺらい企業系の記事では拾えないような部分に手が届き、当時のリアルな気持ちも含めて、一人の人間が変化していくプロセスを表現できます。そのリアリティに共感が生まれて、記事やその方法を超えてあなた自身に興味や愛着を持ってもらえるようになるわけですね。

となると、まず最初にあなたのコンテンツに価値を感じてくれる人としては、過去の自分ということになります。

その当時の自分が現状を脱出するためには何をどう伝えればいいかと考えるから、そのたった一人にぶっ刺さるものが出来上がります。10000人に一人の心を動かせたらそれでいいのです。

あの時あの瞬間の自分に、たまにはふざけながらも真剣な顔で語り掛けるから、結果としてその周辺にいる人にも熱量が伝わっていきます。

漠然と誰かの役に立つだろう、で書いた文章が人の心を動かすことはありません。いろんな人に見られることを想定して書いたラブレターで気持ちは伝わりませんよねwそうなると、悩んでることや求めてる未来、逆にそうはなりたくない姿、それらが手に取るようにわかるのはやっぱり過去の自分なんですね。というわけで、一人目は過去の自分です。

②深めの話をできる近しい人
過去の自分に向けて書く、というのはよくある話なんですが、これだけだと途中で窮屈になってきます。ずっと昔の自分を見てる状態だと、今の自分が本当に興味あることからはちょっとずれてたり、すでに解決した話だから今はあまり熱が入らなかったりして、とにかく停滞してくる可能性が高いです。

そこでもう一人設定しておくとやりやすいのが、めっちゃ話が弾む友達です。ただ仲いい人というより、がっつり深めの話が出来たり、あなたが興味や関心のあるテーマで盛り上がれるような人というイメージです。喋ってるとエネルギーもらえるとか、やりたいことやアイデアが浮かんでくるとか、本とか映画見て面白いこと発見したら、次会ったときに話そうって思うような、そんな人。

別に友達じゃなくて先輩でも後輩でも同僚でも何でもいいんですが、時事的な話とか流行りのことだけじゃなくて、そのもう一個奥にあるような部分を一緒に面白がれるような存在。

そういう人を一人想定しておくと、すごくやりやすい。それは今気になって調べてることや最近気づいたことを共有できるからですね。ちょっと面白かったコンテンツや体験を軽い気持ちでシェアしてみる、という選択肢が生まれて、その方が長く続けていけます。

過去の自分!悩みの解決!と思いすぎると、だんだん書くことがないように感じてきたり(実際はそれも思い込みなんですがw)、真面目になりすぎて自分で書いてる文章がつまらなく思えてきたりもするので、遊び心や柔らかさを保つ意味でもでかいです。


+α(こだわり、価値観、思い、強み、武器)
ここまでが骨格なんですが、最後に大事なプラスアルファの部分があります。こだわり、思い、価値観、強みみたいなものです。料理やらないんで例えがあってるかわかりませんが、全体を包む調味料的なやつです。もう少し具体的にすると、この辺りでしょうか。

いくらお金を積まれようとこれだけは絶対にやりたくないことは?
あなたの人生における情報発信の意義は?定義は?
こうはなりたくないという姿は?
社会の常識や世間の目を一切無視して、あなたが求めるものは?やりたいことは?
誰に何と言われようと○○したいねん、○○して生きていきたいねん!と思うことは?

これは割とバカにならないというか、しっかり大事なところです。ここまでさんざん喋ってきてあれなんですが、あんまり型通りにやろうとし過ぎるとしんどくなってきます。基本の仕組みや原理に忠実であることは大事なんですが、教科書的にやると途中でおもんなくなってきます。楽しいからやるし、だから続けられる、というのが大前提なのでね。

そんな中で、例え非合理で非効率でも「俺はこれをやりたい!こんなこと言いたい!」という気持ちは、人に言われてやるのとは比べ物にならないエネルギーがあります。それは逸脱の機会であるし、自分の道を開拓していくということでもあるし、そんなずれの部分に、らしさとか世界観がにじみ出てきたりもします。なので、逆にこっちの方が合理的なのでは?と思うぐらいなんですが。

強みについては人に褒められたことや、コスト(時間、お金、意識)を費やしてきたことがヒントになります。分かりやすい実績があればそれも入ってきますが、僕もそうですが多くの場合はそんなものないので、もっと抽象的なものでもいいです。

例えば僕だと最初は全く何も思ってなかったんですが、大学院生とか物理やってたというのを結構使ってるわけですね。別に前面に押し出さなくても、強みや武器として使えるかもしれないと思っておくだけで、切り口とか例えの幅が広がるし、そこに似たような話してる人とのちょっとした違いが出てきたりします。なんなら物理のこの話したいねん!と思ったら無理やりねじ込んでるときすらあります。そっちの方が楽しめるのであれば、それこそが正しいと思いこみましょうw

あとは、僕は昔から人に勉強を聞かれて教えたりするのが好きなタイプで、バイトも個別指導とか大学の授業のアシスタントとかしかやってきてないんですが、そういうのがあれば、人に何か伝えるときのコツとか、こんなタイプにはこういう伝え方がいいとか、感覚として分かってる部分があるかもしれませんよね。そういう何か活きてきそうなものは、一通り洗い出してみるのがおすすめです。

・ジョブズのプレゼンと Apple の信念について
思い、価値観、こだわりについては、昔ブログでも紹介したことある気がしますが、サイモンシネックの超有名なTEDのスピーチが参考になります。イノベーティブな企業のリーダーは「why → how → what」の順番で伝える、という話ですね。

これはこんな商品です、に終始するんじゃなくて、「僕たちはこんな世界を実現したい、それはこんな形で行われる、だからこの商品が誕生した」という流れです。

僕たちは最初の段階では、情報発信者としての自分やそのコンセプトを売ってるんですね。「だからなぜ情報発信をするのか、それによってどんな理想が実現されるのか、それはどのように実現されるものなのか、だから僕はこれを発信する必要がある」と、大げさに言うならこんな形でまとめられるから、ちょっと調べれば誰にでもわかることしか書いてない人とは違った雰囲気になっていきます。

その例と言ってもいいのが Apple です。Apple は1997年にあるCMを公開するんですが、その時経営は危機的状況でした。そこでジョブズ氏はそれまでのプロジェクトを中止して新たな広告のキャンペーンを打ち出します。 その時のジョブズのプレゼンで、apple の信念とは何であるか、そしてそれがどれだけ重要なのかという話が出ていたので、紹介してみようと思います。(ソース)

“And what we’re about isn’t making boxes for people to get their jobs done — although we do that well. We do that better than almost anybody, in some cases. But Apple is about something more than that. Apple at the core…its core value — is that, we believe that people with passion can change the world for the better. That’s what we believe.”

「私たちはただ仕事するのに便利な箱を作ってるのではない。もちろん時には他の誰にも負けないようなものでもあるけれど。でも Apple というのはそれ以上の何かなんだ。Apple の信念、信じている価値とは何か。それは「情熱を持った人間は世界をより良く変えていける」ということ。それが我々が信じていることだ。」

(続けて、10年前と比べて市場は全く違うものになったという話があって、)

But values and core values — those things shouldn’t change. The things that Apple believed in at its core, are the same things that Apple really stands for today.”

「でも Apple の価値、核となる価値は変わってはいけない。Apple が心から信じてきたこと、拠りどころとするものは今でも同じなんだ。」

(中略)
“The theme of the campaign is “Think different.” It’s honoring the people who think different and move this world forward . And it is what we are about. It touches the soul of this company.
So I am gonna go ahead and roll it, and i hope that you feel the same way as I do.”

「キャンペーンのテーマは「Think different」。人と違う考えを恐れず世界を進めてきた人たちを称えるものだ。そしてそれが Apple が何であるかを表している。この会社の魂に触れている。それじゃあ始めよう。みんなも私と同じように感じてくれたら嬉しいな。」

で、このCMに繋がります。

これがまさにこだわりであり、思いであり、価値観ですね。それを自分自身にも問うてみてください。あなたの発信にも魂が宿るようになるかもしれません。

以上、理想の世界、根本原因、読者像の3つと、こだわりや思いをひっくるめてコンセプトということになります。これだけ考えておけば十分でしょう。


コンセプトからコンテンツが生まれる流れ 

さて、ここまででコンセプトがまとまったので、あとはもう発信していけるわけなんですが、これでいきなりスタートするのも簡単ではないと思うので、どんなことを発信していくのがいいのか、という具体的な話を最後にちょっとだけ見ておきます。

基本的には、

(コンテンツ) = (テーマ) × (コンセプト) × (役立つ、面白い)

で考えられます。ここでのテーマというのは、伝えたいことや伝えるべきことです。これをコンセプトというフィルターに通して、面白さと真面目さのバランスを調整するというイメージでしょうか。

だからもうあとはテーマだけ見つけて来たらいいんですね。読者像のところでも少し出てきましたが、基本的にはこれまでやってきたことを伝えていくというのが一番わかりやすいです。

人生のストーリーからコンセプトを考えたわけですが、そうなると今に至るまでの時間の流れの中でやってきたことがあるはずなので、まずはそれを発信していくのがいいと思います。あとは、これからその物語を進めていく上で必要だと感じていることや、やりたいと持っていることに打ち込みつつ、その過程で獲得したものを発信していくというイメージですね。

コンテンツレベルでの具体的な話はまた次回以降で見ていくので、今回はひとまずコンセプトからどうやってコンテンツが生まれてくるのか、という流れを掴んでもらえればと思います。


まとめ

というわけで、今回は「人生と一致した情報発信の全体像」を見てきました。簡単に振り返ってみると、そもそも情報発信はエネルギーを循環させる手段として捉えたかったんですが、人生と分離していてはもったいないし、続けられません。で、この続けるというのは、実は情報発信において最も重要なことなんですね。続けてるだけで何とかなる部分が大いにあります。続けるという意味でも、やっぱり人生と一致していることに意味があるわけですね。

じゃあそれをどうやってコンセプトに落とし込むのかというと、3+1の形がよくて、これは

・理想の世界
・根本原因
・読者像
・こだわり、思い、価値観、強み

ということでした。

ぜひ今回の内容を踏まえて、改めてあなたの人生における情報発信の在り方についても考えてみてください。

質問・感想などもあれば連絡してくださいね。
それではここまでお読みいただきありがとうございました!


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