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最愛の旅先・小笠原 第14回 初のOgasawara Ambassador Meetingへ!
noteでのこの連載をきっかけに”小笠原アンバサダー”に登録前回投稿は2010年の2回目の小笠原への出発を書いたけれど、いちど時計の針を現在(2023年7月)に戻そう。
”小笠原アンバサダー"という小笠原村観光局のプログラムは、おが友が何人か登録してたので知っていたけれど、しばらくの間、参加へのモチベーションが湧かなかった。
このたび、noteへの旅日記「最愛の旅先・小笠原」を続けてきて、アン
最愛の旅先・小笠原 第13回 いよいよ2回目の小笠原へ
稀有な経験をしたいと、硫黄島3島クルーズに合わせて行くことに前年(2009年)の初めての小笠原は人生の転機といえたが、これからさらなる転機が始まろうとしていた。
小笠原ユースホステル30周年記念パーティー以来、どうしようもなく小笠原に行きたくなってしまった。
それこそ、頭の髪の毛の先から、つま先の爪の先までの、全身の内臓や組織や細胞が、小笠原を激しく求めてしまっていた。
小笠原では何をしよう
最愛の旅先・小笠原 第12回 初の小笠原ロス、ユース30周年記念パーティー
2010年GW、初の小笠原ロスに。初めての小笠原からあと2か月で1年となる2010年のGW。何がきっかけになったのかは今となっては思い出せないが、小笠原が、無性に懐かしくなってきた。
初の「小笠原ロス=おがロス」だ(当時は「ロス」という言葉を使わなかったが、今風にいえばそうなる)。
去年撮った写真を見返したり、参加したツアーのお店のHPを見たり、
去年島で知り合ったひとたちはどうしているかな
最愛の旅先・小笠原 第11回 最近のおがロスと、島じまん2023
この春のおがロス強まるロス、竹芝におが丸の出港を見に。
2009年7月に初めて小笠原を旅してから、現在(2023年6月)までの14年間に、9回小笠原をリピートした。
これほどリピートしている旅先は他にない(宿泊を伴う旅先についてだ)。
記憶している限り、その次に行っていると思っている北海道は生まれてから現在までに6回かそこらだ。
この冬に体調を崩してしまった。自律神経失調症と睡眠障害。仕事
最愛の旅先・小笠原 第10回 竹芝に向かうおが丸にて
船内見学ツアーに参加2009年7月19日。父島出港の翌日の午前中、竹芝到着(15時30分)まではまだ時間があったので、船内見学ツアーに参加した(3代目おが丸の現在では、船内見学ツアーを実施していないようであるが、未確認。要問合せ)。
ガイドさんにエンジンルームや操舵室を案内していただいた。すでに引退している2代目おが丸。今振り返ると、当時見学ツアーに参加したのは貴重な経験だった。
エンジンの機
最愛の旅先・小笠原 第9回 出港の日、見送り船!
小笠原滞在最終日、母島を出港2009年7月18日。小笠原滞在の最終日だ。母島を10時40分に出港、父島に12時50分に入港しておがさわら丸に乗り継いで、14時に父島を出港する。
10時30分までには母島の沖港に到着していた。父島でおがさわら丸に乗り継ぐ人が多いからか、乗船する人と見送りの人とで沖港はとても賑わっていた。アンナビーチのオーナー夫婦とホステラーさんたちと記念撮影して、ははじま丸に乗り
最愛の旅先・小笠原 第8回 母島の北港と乳房山
母島の北を目指して南に向かった次の日、原付で北に向かった。
北への道は、アップダウンが急な上、道が狭くなっているところが多く、対向車が少ないとはいえ皆無ではなく、原付の運転には気を使う。スピードは出さないようにした。
もっとも、父島もそうだけど、島ではスピードを出すことに快感を覚えない。島時間と同じように、のんびりと走った方がかえって気持ちがいい。
原付で行ける最北端は北港。東屋の先に広がる
最愛の旅先・小笠原 第6回 のんびり父島時間
父島出港日のユースの「出港カレー」ユースでは、おが丸が父島を出港した日の夕食には「出港カレー」という特製のカレーが2種類出る(2航海以上の滞在でありつける!)。このときは写真を撮っていないのだけど、ひとつは玉ねぎ、にんじん、じゃがいもと鶏肉がごろごろ入ったまろやかな中辛のカレー(どう呼ばれてたか思い出せない・・・)。もうひとつは、島とうがらしが効いていて、島野菜や、隠し味的に島バナナ(島バナナだっ
もっとみる最愛の旅先・小笠原 第5回 初めての「見送り船」は、見送る方!
その前に〜ユースの名物”出港パーティー”小笠原ユースホステル(ユース)では、父島出港の前夜に”出港パーティー”が開催される。
出港パーティーは、翌日の父島発おが丸に乗る人の(夕食を兼ねた)送別会。食事もドリンクもパーティー仕様となり(出港パーティー代は夕食代に上乗せされる)、
オーナー、ヘルパーをはじめ、飛び入りでホステラー(ユースの宿泊客)も、音楽や踊りなどの出し物で盛り上がる(ホステラーに
最愛の旅先・小笠原 第2回 初めてのおがさわら丸
はじめに〜なぜ「小笠原」が頭に浮かんだんだろう前回の投稿で「いろいろと考えているうちに、頭に『小笠原』という言葉がパッと浮かんだ」と書いたけれど、なぜそうなったのか?
理由とか経緯とか覚えてなくて、今となっては推測しつつ考えるしかないけれど、
そもそも、海のあるところ、海に触れられるところを求めたのは本能的かつ衝動的なもので、論理や思考によるものとは異なるものか、超えるものではないだろうか。
おかえりモネでイメージする佐野元春〜東京編を終えて(後編)
情けない週末(アルバム BACK TO THE STREET 1980年)第16週・第80回でモネを抱きしめた2016年11月以来、モネとの愛を育み、遠距離恋愛を経て、2019年9月には(第19週・第91回)モネにプロポーズした菅波。しかし、モネが気仙沼に帰郷する決意をしたことによって結婚を「保留」することに。
そのような状況を見て思いついた佐野さんの楽曲が「情けない週末」でした。菅波の想いは