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子どもの記憶に残ること

こういう仕事をしているので、子どもとの付き合いが長くなることがあります。
その中で、子どもたちにとって僕たちがどういう位置付けでありたいのか、考えてみようと思います。

子どもと一緒に考える

年単位で通院を続け、幼稚園だった子が中学を見据え、中学生だった子が大学に入ってみたり、高校生は就活を終えて就職してみたりと、節目で振り返ってはしみじみとした気持ちで子どもと向き合っています。

子どもの心理・行動の問題では、主治医としてもちろんタメになる✨コメントをします(できてるはず…)。
子どもが大きくなってくると、いろんな相談に乗ります。普通の思春期の悩みから、発達特性に基づいたものまで幅広くあります。

内容にバラツキはあれども、子どもが困っていることを一緒に見つめて話し合うという構造は同じです。
時には解決できない問題もあるので、一緒になってうんうん唸ってそのまま「うーん。あかん。また次回」という終わり方になることもあります。
でも、高所大所から見つめるだけではなく、子どもの目線で肩を組んで考える大人がいることも、彼らにとって助けになるのではないかなと思っています。

子どもの記憶に残ること

そういう経験をした子どもが大人になった時、ぼんやりとでいいので「そういえば昔、あんな大人がこんなことしてくれたなぁ」「なんか救われたなぁ」と思ってほしいなと思います。
それで感謝をしてくれということではありません。彼らが大人になった時に、次は下の世代にそれを還してほしいなということです。
親子とか上司部下、先輩後輩でも同じですが、人って自分のしてもらったことは誰かに還そうとします。そのサイクルがより下の世代にも続いていけばいいなと思うのです。

僕にとっての「記憶に残るエピソード」の一つをお話します。
僕が大学生の時、とてもかわいがってくれた先輩がいました(いました、というか今でも仲良いです)。ことあるごとに「おい三木ラーメン行くぞ」「風呂行くぞ」「ドライブ行くぞ」と連れ出してくれ、ことあるごとにごちそうしてくれました。あまりにお世話になるので、「なんかいつもありがとうございます!」と言うと、先輩は「俺も先輩によくお世話になった。俺に返してくれなくていいから、お前も後輩をかわいがってやれ」と言ってくれたのでした。

サイクルを回したい

自分のしたことが子どもの記憶に残ることが、また時代を超えて再生産されることにもなります。
誰がなにをしたとかではなく、良き関わりが良き関わりとして、連綿と続いていって欲しいなと思います。

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