傑作! NHKドラマ版『阿修羅のごとく』 。向田邦子脚本は、和田勉演出で完成する
『阿修羅のごとく』という、向田邦子脚本の傑作ドラマがある。
良作の脚本は、素晴らしい演出(視覚効果含む)とそれを演じる役者の芝居が出会い、初めて名作映像作品として完成する。
『阿修羅のごとく』を傑作たらしめたのは、良質な脚本と、類い希なる和田勉のキレのある演出(視覚効果含む)、役者陣の芝居の取り合わせといえよう。
中でも監督の役割である演出は、脚本の読み込み、役者への演技、音楽、セットの配置や小物に至るまで、すべての視覚表現をコントロールする重要な役割である。
『阿修羅のごとく』の傑作の秘密は、和田勉の演出が鍵を握っていたと言っても過言ではない。
昨今では、古いドラマや映画も気軽に配信で観られるようになった。
NHKの土曜ドラマシリーズで放送された『阿修羅のごとく』(1979年・昭和45年)も同様で、NHKオンデマンド(月額990円)に加入すればいつでも視聴できる。
私はU-NEXTの基本パックに、NHKオンデマンドを追加した。U-NEXTは毎月ポイントが還元されるため、そのポイント利用で毎月実質0円でNHKオンデマンドを利用していることになる。
NHKオンデマンドはU-NEXTだけでなく、AmazonPrimeVideoでも同額追加で利用できる。
****************************
▼向田邦子脚本と時代の空気感
一見おだやかで常識人たる女たち。心の中に猜疑心と悪口を好む阿修羅のような顔を持つ。この二面性の恐ろしさこそが物語の核心なのだ。
姉妹のテンポ良いやりとり、表では平静と冷静を装いながらもふっと表に出てしまう修羅の心。憎しみや妬みなどの毒気が日常の喜劇となって描かれる、向田邦子らしい脚本である。
また1979年という時代の空気感も存分に味わうことができる。
固定電話でのやりとりの風景、女が家庭で夫に尽くすのが当たり前の時代。それが良い悪いではなく、時代を知るにはTVドラマはうってつけだ。
当時の価値感、それに対する閉塞感、憤り、自由さ、ひととの関わり。それらを感じるだけでも価値がある。昭和をダサい、古いと一刀両断するひとたちは何をもってそう言うのか。
新しく生まれ変わるべきもの、変わってはいけないこと。そういう価値感を見つけることもまた楽しい。
向田邦子といえば、昭和の家庭劇、辛辣で小気味よいセリフまわしを取り上げられることが多い。だが、それだけが向田脚本の特徴ではない。
ドラマの組み立てや練り込みが、非常に丹念でキレがあるのだ。
制約ある時間内で緊張を持続させ、登場人物の性格や抱える問題、人間関係などを組み立てていく。
例えば本作の冒頭のシーンでは、四姉妹の暮らしぶりや性格、そして事件の発端が、電話という小道具をリレー的に使うことで見事に表現されている。
物語は、三女・滝子が神妙な面持ちで姉妹たちに電話をかけるところから始まる。電話の受け答えや様子で彼女たちの暮らし、性格が映し出される。滝子は電話をかけながら、曇った窓ガラスに指で「父」と書き続けている。これで視聴者は父親の問題だろうと予測する。しかし滝子は呼び出す理由をなかなか話さない。
ドラマ開始から15分後、四姉妹が三女・巻子の家に集まってくる。
この15分の間に、電話でのやりとりに加え、年老いた父親と母親が暮らす平凡でおだやかな様子や、滝子が興信所を使って何かの調査をしているシーンが挿入された。
たった15分だが、視聴者が得る情報量は多い。
視聴者に姉妹を紹介するため、滝子がかける電話を象徴的な小道具として使用し、サスペンス的な盛り上げに繋げる。
これも向田邦子脚本の上手さ、見どころなのである。
▼息を呑む、和田勉演出のキレと妙
中でも秀逸なのは、向田脚本を最大限に生かすべく人間の心の奥底をえぐり出すことに尽力した、和田勉の演出である。
計算され尽くした画面の構図、クローズアップの多用、切り返しとテンポ、止め絵の多用など、緊張感ある演出が光っている。
昨今は説明過多で役者の芝居をダラダラ撮り続けるぬるい演出作品が多いため、はっと目を見張るような凄みがある。
和田勉はNHK入局以来、ディレクター・プロデューサーとして多くの作品を生み出した。それらが賞を受賞し続けるため、「芸術祭男」とも呼ばれた。
『天城越え』『ザ・商社』『けものみち』など数々の話題作を連発。TVドラマ界創世記においての牽引者といえる存在だ。
和田勉はクローズアップを多用した演出家として有名だが、決してそれだけではない。
一般的にTVドラマは映画よりも格下とされているが、和田勉はドラマという文脈の中に映画の高度な映像表現を用いた。
心情を表現するための視覚表現を駆使し、役者の演技だけでなくセットの位置関係やライティング、構図、表現方法(静止画の多用など)に徹底的にこだわった。
以前の記事で黒澤明の映像表現について語るYouTube動画を紹介したが、和田勉の演出もまた、黒澤映画に見られる緻密な映像設計が施されている。
和田勉は、ただただクローズアップが特徴とされるTV演出家ではないのだ。
映画的な効果をTVドラマで実現しようとした、希有な演出家なのである。
ここで3つの演出例を紹介しよう。
映像や画面ショットは著作権関係で掲載できないため、画面スケッチで絵コンテ風に作成した。
和田勉演出の妙は、計算された構図、研ぎ澄まされた演技断片のモンタージュ(カット繋ぎ)に、クローズアップがアクセントとして加わる。
さらに役者の佇まいだけで心情がわかる高度な演出に加え、役者側の足し算引き算の演技が堪能できる。
NHKドラマ版『阿修羅のごとく』を観たことがある方なら、テーマ音楽であるトルコ軍楽の印象は深いはず。ぜひYouTubeでご堪能いただきたい。
ここからは、2003年公開の森田芳光監督・映画版『阿修羅のごとく』に触れます。
映画についてはネガティブな批評が続きます。
批判コラムが苦手な方は読まずに退場して下さい。
私は、商業クリエイターは批評・批判にさらされるべきと考えています。
作品の質向上のため、正しく批評することは大切です。批評はディスではありません。
そのつもりで書いていますが、書き方としてはやや感情的。
これは私の書き味として楽しんでいただければ幸いです。
▼評価への疑問。映画版の『阿修羅のごとく』
NHKドラマ版『阿修羅のごとく』は、これを原作に舞台や映画作品も作られている。
2003年には、森田芳光監督による映画『阿修羅のごとく』が公開された。
NHKドラマ版の向田邦子脚本を映画用ににアレンジし、新しくオリジナルシーンを加えた内容になっている。
大竹しのぶ、黒木瞳、深津絵里、深田恭子の豪華キャストということで話題になった作品だ。
映画版は第27回日本アカデミー賞で森田芳光が監督賞を、筒井ともみが脚本賞を、深津絵里が助演女優賞を受賞している。
U-NEXT、AmazonPrimeVideoで視聴可能。
NHKドラマ版が傑作なだけに映画版にも期待したが、まったく残念な印象しか受けなかった。
物語の面白さ、人間の深みやドラマ、役者の演技、映像作品としての質。どれをとってもNHKドラマ版には遠く及ばない。
映画版の『阿修羅のごとく』、何がそこまで残念なのか。
次回投稿記事「森田芳光監督・映画版『阿修羅のごとく』の違和感」で、
具体的なシーンを上げて考察していきます。
▼森田芳光映画版『阿修羅のごとく』
*関係各位様:
画面の流れを絵コンテ仕様にスケッチして掲載していますが、
問題あれば取り下げしますのでご連絡ください。
※サムネ画像は、パブリックドメインの写真画像を使用しています。
著作者:Reiji Yamashita
公表日:2023年1月17日