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白いカーネーションはまだ贈れていない。

母の日といえば、前のアカウントでnoteをはじめて間もないころに母の日のことを書いたなと思い出したので再掲。


* * *


母の誕生日かもしれない。
この二、三日、ちょっと手をとめて考えてはやめて、という仕草を繰り返していた。
今日になり、可能性のある日づけを越えたと安堵するものの、先を思えばわずかに気がふさぐ。
母の誕生日は来月かもしれないのだ。
秋、十月か十一月のあたま。
ぼんやりと言えるのはそれだけで、私は母の誕生日を正確に記憶していない。
命日はしっかりとおぼえている。しかし当日を過ぎてから思い出すことの方が圧倒的に多い。

父や兄の誕生日はきちんと把握している。祝う祝わないはまた別の話として、とにかく何月何日とはっきり口にすることができる。
家族の中で母の誕生日だけがすっぽり抜け落ちているのだ。
それは母が祝われることに遠慮がちな奥ゆかしい人であったとか、そういう理由では決して無い。
むしろ「お祝いしなさい」と強制してくる類である。
だから子どもの頃は気をつけて当日にそれなりのことをしていたはずなのだが、具体的な思い出は何ひとつ持ち合わせていない。
まったくもって奇妙な事態だ。


そのかわり、母の日のことはいやに鮮明に脳裏によみがえってくる。


小学校二年生ぐらいのことだったと思う。
五月の、ゴールデンウィークが過ぎたばかりの日曜日。
朝食を終え、食器をさげたテーブル。まだ拭いていないビニールのクロスの上に、百円玉が四枚、ちらばっていた。
私の唇の動きを遮るようにして、母が口早に言った。

「お店、行ってきていいから」

お金を持って出かける時は、必ず母親の許可を得ること。日ごろからそう厳しく言い聞かせられていた。そのことと、ついさっき食パンをかじりながらテレビで見ていたこととが結びつき、ああ、とようやく納得した。

「自転車で行っていいの?」

花屋の心あたりは一軒しかない。商店街を抜けた奥の、駅のそば。ふだん遊びにいって良いとされる範囲を越えることになる。母は私に背を向け、シンクの蛇口をひねりつつ、ふ、と気配だけで笑った。

「前カゴに花を入れたら風で飛んでっちゃうかもしれないでしょ」

つまり歩いていって、ちゃんと手に握って戻って来なさいということだろう。なるほどと再びうなずいたが、いざお金に手を伸ばしたところで、あれ、と首を傾げた。
百円玉が四枚。四百円。
私の月のおこづかいは二百円。マンガ雑誌の「なかよし」はそれとは別に買ってもらえるが、その「なかよし」が三百円ちょっとだった気がする。
花ってそんなに高いの?
買ったことがないからわからない。戸惑っていると、かちゃかちゃと食器を洗う音にまぎらわせ、またも早いテンポで短く言い渡された。

「お兄ちゃんの分も」

理解するのに今度はたいして時間はかからなかった。
兄が母に渡すための花も忘れずに、という、これはおつかいだ。
そこまでは分かったが、母の日ってこういうものか、とか、兄は三つも年上なのだし自分で買えるだろう、とか、そもそも兄も一緒に行くか、兄が私に頼むべきでは?とか、いろいろな疑問が浮かんで何だか身うごきがとれなくなってしまった。
しかしそれも、母の次の声でだいたい解決された。

「明日、お客さんが来るからね」

ピンと来るのと同時に、水が跳ね器のぶつかる音がひときわ大きくなる。
ぐずぐずしている私への、母の苛立ちの予兆。
私はそれに追い立てられるようにしてお金をポケットにしまい、そのまま玄関へ向かった。


三十分後。
私は今度は花屋さんの前で立ち尽くしていた。
女性の店員さんが二人、青いバケツを手に行ったり来たりしている。
母の日。街に一軒だけの花屋。
「かきいれどき」なんだろうなあと、漠然と予測した。我が家も電機屋ゆえに、夏は「クーラーでかきいれどき」だと父が言っているのを耳にしていたのだ。
もちろんバケツに入っているのはクーラーではなく、カーネーションの束。
赤いカーネーションとピンクのカーネーションを、それぞれ別のバケツに分けて、店内と道路わきに置いては位置を変えて何やら話しこんでいる。よくわからないが、いろいろ大変なのだろう。「かきいれどき」なのだから。
まだ時間帯としては早かったのか、お客さんの出入りはなかった。
おかげで存分に途方に暮れていられた。

カーネーションを買うのは絶対として、赤かピンクか。
兄の分もというお達しが幸いし、一色ずつ買うことはできる。恐らくそれが最も単純な解決策だろう。
だが、明日の来客。このポイントを外してはならない。
母は当然、その人(当時の私からすれば「おばさん」)から見える場所にカーネーションを飾るだろう。お客さん(おばさん)はきっとそのカーネーションについて何かしらを言うであろう。少なくとも母はそれを期待しているだろう。
そのとき「ほら、きのう母の日だったから」では済まない。
母は必要としているのだろう。カーネーションにまつわるネタを。
でなければ、わざわざ「明日、来客がある」と念を押す理由が思い当たらない。
とはいえ、「母の日」「カーネーション」から話題を広げるのはなかなか至難の技。

あえて赤に統一し「やっぱり兄妹だからかしらね、別々に出かけたのに同じ色を買ってきたのよ。血は争えないわよね、赤だけに」(言うまでもなく兄も自ら花を買って贈った設定)で行くか、
両方をピンクにして「どうしても母親にはこういう色のイメージを持つものよね。それにしてもお兄ちゃんたら、男の子なのにピンクの花を持つの恥ずかしかったでしょうに」が望ましいのか、
どちらも買って「前もって打ち合わせたみたいなの。でもピンクがお兄ちゃんからなのよ。男の子がピンクを以下略」が無難か。

物語は母が作り上げるにしても、ある程度、下地を作っておかないと母は満足しないだろう。
これは帰宅してから折り紙で何か作って添えるとか、そういうこともしなければならなくなるパターンだろうか。
(「下の子はまあ女の子だけどお兄ちゃんは男の子だしもう五年生だし、余計なものなんか無くてもお花をくれるだけで充分なのよ」の展開につなげられる)

想像に想像を重ねて考えこんでいる間も、カーネーションは右往左往する。それをずっと見ていると、何だか目がちかちかするような、逆にぼやけるような、変な感じになっていく。

早く決めて帰らないと、お昼ごはんに間にあわない。
叱られる。

焦りが募りだしたころ、一旦お店の奥に引っ込んだ店員さんが、またバケツを手に戻ってきた。

白。
白いカーネーション。

はっとした。
カーネーションに白なんてあるんだ、という発見もさることながら、これだ、と一目で確信したのだ。
アニメ「ベルサイユのばら」の最終回で「オスカルは白が好き」みたいな話になった時、お母さんも白が好きって言ってた。
喜んでくれるかもしれない。

そう思った次の瞬間には、もう店員さんに駆け寄って「これ、ください!」と指さしていた。白いカーネーションを。もう一輪のことなど、すっかり忘れきって。
しかし、店員さんはきょとんとしてから、ふいに眉をひそめ、困り顔になった。バケツを置き、ちょっと待ってね、と残して、もう一人の店員さんをひそめた声で呼んだ。その店員さんのほうが、今の店員さんよりいくらか年上に見えた。
やがてその「少しおばさん」な店員さんが、私の前に立った。緑色のエプロン姿。目線の高さを合わせるでもなく、言った。いま思うと率直を極めた簡潔さで。

「お母さん、死んだの?」

びっくりした。
でも、既に掌にのせて差し出していた硬貨を落とすことはなかった。
私の無反応な反応を見て、やっぱり、と店員さんたちは軽く苦笑した。

「あのね、白いカーネーションは、お母さんが死んでからあげるものなの。
お母さんが生きている間は、あげちゃだめなんだよ」

ていねいに、教えてくれる。そうなんだ、と再び感心する反面、でも、と困惑せずにいられなかった。
白が好きでもだめなの?
死んだらあげられないのに?
しかし、そういう質問をしてはいけないのだとも、何となく察していた。
言われてみれば、白のカーネーションの数は、赤やピンクよりずっと少ない。私がわがままで買ってしまったら、実際にお母さんが死んでしまった人に行き渡らないかもしれない。それに「かきいれどき」で忙しい店員さんの邪魔になってもいけない。

何より、母に怒られる。
きっと「死ねってことなのか」と殴られる。


「じゃあ、ピンクと赤をください」

ほんとうは白がいいけど、しかたがない。

「リボンも同じ色でいい?」

「はい」

ほんとうは白がいいけど、しかたがない。


「そこに置いておいて」

関心の無さそうな態度を装いつつ、母はちらちらと花と私を見比べていた。
セラファンに包まれたままの花をテーブルに置き、花屋さんでね、と私は母に食い下がる。

帰り道、真剣に悩んだ末の賭けだった。

白いカーネーションをはじめて見たこと。
とても綺麗だったこと。
それを買いたかったけど、生きているお母さんには贈れないと教わったこと。

母の機嫌によっては、これはお客さんに披露するだけのネタになり得る。
失敗しても私が痛い思いをするのはその時だけで、母は結局、それを採用し、うまく脚色してお客さんを楽しませるだろう。
それに、もちろん、そんなもの知らずの役割は私が担うことになるから、話題が兄でなく私に寄る可能性も出てくる。
蚊帳の中に入れてもらえるかもしれない。



結果として、母も白いカーネーションの意味を知らなかったし、この出来事は母にとって思いがけない収穫となった。
翌日から毎日いろんなお客さん(おばさん)たちが来ては母は私を呼び出し、ことの顛末を語らせ、場を大いになごませることに成功した。


「それで、お母さんに『いつもありがとう』は言ったの?」

お客さんたちはひとしきり笑った後、必ずそう問いかけてきた。
それに答えるのは母だった。

「白いカーネーションのことばっかりで忘れちゃったのよね。お兄ちゃんはちゃんと言ってくれたのに」

するとお客さんたちはまた微笑む。そうして、ソファに座っているせいでたまたま同じに高さになった水平の目線を、私に向ける。笑っているけど笑っていない。このおばさんたちもお母さんなんだと、私はどこか遠くで思う。

「だめでしょ、言わなきゃ。ちゃんと、おかあさん、いつもありがとう、って」

白いカーネーションがほしかったなあ。

そのことばをのみこんで、母を見る。リビングの窓辺、花瓶にいけられた赤とピンクのカーネーションは、一日ごとに色あせて、もとの明るさにはもう戻らない。それを新しいことのように知っていきながら、私は口を動かす。


母は私が二十代のころに他界した。
今ならば母の日に大手を振って白いカーネーションを贈れるが、生憎、未だに母は埋葬されていない。骨壷に入ったまま、仏壇に鎮座している。
そして私は実家の敷居をまたぐことが困難な状況にあるため、仏前に花を供えることは現実的な話ではない。

正確な誕生日はわからないけれど、母の好きな花はコスモスであることは知っている。やはり秋うまれだからだろうか。
コスモスであれば、母の性格上、恐らくチョコレート色なら多少なりと興味を示してくれそうだ。

チョコレートコスモスの花言葉は「恋の思い出」「恋の終わり」「移り変わらぬ思い」

母の性格上、非常に嫌がりそうな言葉ばかりである。ネタになりそうなので、もし、万一、贈る機会があったらこの花を選びたい。


選べないなら、贈らない。





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