【#1】写真展「一蓮托笑」福岡開催を終え、原点から振り返る
女性写真家チーム、清水貴子です。
2年かけて準備してきた一蓮托笑写真展@福岡市美術館が終わりました。
多くの出会いと感謝と感動に包まれた6日間は、一言ではとても語れません。
開催後1ヶ月が経ち、終了後のあれこれが少し落ち着きながらも、今回のモデルのみなさまの言葉、来場者のみなさまの言葉を受け、今後10年間の大きな目標ができたこともあり、少しずつ次の準備(東京開催)に向け動き始めているところです。
今後10年の目標についてはまた改めて書きますが、一言でいうと、2024年で還暦を迎えた私清水が70歳になるまでの10年間毎年一蓮托笑写真展を開催する、というもの。
実現に向けて、まずは今回の福岡を振り返ると同時に、自分とも改めて向き合うためにこうして書いてみようと思ったわけでございます。
ということで、仕切り直し。
写真展「一蓮托笑」をしようと思った理由
そもそもなぜ写真展をしようと思ったのか、そこから書いてみよう。
と、改めてパソコンに向かうと、なかなか言葉がでてこない(汗
書きたいことがありすぎて、もあるけれど、
思えば、私は自分の感情を語るのは苦手だったことを思い出しました。
だって、小さな頃からの得意技は「自分の感情をおさえる」ことでしたから。
その得意技がどうやって培われたのかは、定かではありませんが、1つ言えることがあるとしたら、幼い頃、感情をおさえることで何か自身の安全を確保できた、というある種の成功体験があったからだとは思うのですが。
でも、ほんとうのところはよくわかりません。とにかく幼い頃から、私は感情を言葉で語ることが得意ではありませんでした。(思春期には怒りとなって爆発しましたが…)
でも、そんな自分が写真展のために49人の女性の話しを傾聴し、共感し、キャプションを書いたことは、今書きながら感じたのですが、もしかしたらそんな私にとって必要で必然の体験だったのかもしれない・・・と思ったりします。
なぜ、写真展をしようと思ったのか。に戻ります。
ひらめいた!
2022年の夏頃、高齢の両親が暮らす山口県の実家でのこと。
もう何年も施設に入所中の父と母の元へ通っているのですが、この日私は福岡へ戻る日。そこへ私と入れ違いで東京から帰省した弟との会話がきっかけでした。
弟は東京で20年以上デザイン会社を経営していて、起業家としては先輩。会うといつもお互い仕事の話ばかりするような、そんな間柄なんですね。
で、いつものように仕事の話をしていた時に、私がなにげなく「写真展やりたいんだよね」と言葉にしたことで話が盛り上がり、わずかな時間で「一蓮托笑」という言葉まで生まれ、一気にイメージが広がったのです。
ひらめく、というか、生まれたというか、降りてきたというか。
ふわっと言葉と一緒にイメージがおりてきた、そんな感じがしたのをよく覚えています。
視覚優位の特性を自覚する私は、イメージはすべて映像で浮かぶのですが、一蓮托笑写真展のおおまかなイメージが浮かんだことでワクワク!
私は、福岡に戻ってすぐ、行動に取り掛かりました。
ひらめいたら、まずは動く!そんな習性を持つ私。
良いのか悪いのかわかりませんが、そのおかげで失敗も尽きません(汗)
この時、描けていたことは次の4つ。
50歳以上の女性を写真展「一蓮托笑」で飾ろう。
50人飾りたいから、モデルを早速募集しよう。
福岡の素敵な会場でやろう。
これまで超えてきたことを笑顔と一緒に紹介しよう。
この4つのイメージだけで、詳細を決めないまま、ほぼ衝動的にモデル公募へと突き進みました。
この時が、2022年9月。
私はすぐに告知文を考え、ばっちりできたつもりで、意気揚々と告知したわけです。
そして、いきなりの大失敗。
この時、ひらめいたらすぐに動く習性が災いし、一番最初の段階のモデル公募で大失敗してしまいました。
出だしから、コケてしまったのです。
なんと、撮影料もエントリー料もとらず、すべて無料と発表してしまったのです。
いい歳をして、
起業して13年経つのに、
さんざん失敗してきたのに、
50人も撮るのに、
写真展の規模も採算も考えず、勝算も考えないまま、
熱い想いが人に伝われば、
共感する同志と出会えるなら、
との勝手な思い込みとその熱量のまま行動してしまいました。
結果は、すぐに現れました。
発表直後から、すごい数の応募が殺到。
一瞬は反応の良さに喜びました。
「同志がこんなにいてくれた!」という喜び。
でも、それはすぐに困惑に変わりました。
応募の理由コメントを読むと、その文字や文章からにじみ出る思いは、私の思っていた「同志」ではなく、「プロにタダで撮ってもらって写真展に出られる」と誤解させてしまった事実でした。
あぁ、やってしまった・・・
これについては、はっきりお伝えしておきますが、この「誤解」を起こさせてしまったのは、あくまでも私の伝え方が悪かったという事実です。
この時応募された皆様が悪いのではないのです。
反省し、仕切り直し・・・
コンセプトが伝わっていなかった、ということは、伝えられなかったこちらに責任があります。
私は、誤解させて申し訳なかったと思うと同時に、すぐに有料に切り替え仕切り直しに入りました。
そこからは、応募くださったみなさまお一人ずつに、改めてコンセプトを伝え、有料に切り替えたことをていねいに伝えていきました。
この行動に1ヶ月以上、いや、もっとかかったかもしれません。
すぐに行動して吉と出ることもあれば、その逆もある。
写真展一蓮托笑福岡開催は、そんな私の失敗からのはじまりでもありました。
読み返して最後に気づきました。
なぜ、写真展をしようと思ったのか。について、事実報告しかできていませんでしたね。。。。汗
自分の感情を言葉にしようとPCに向かったのに、書くのは事実報告。
うーん、これは次の記事で言葉にしてみたいと思います。すみません・・・
つづく。
現在、写真展「一蓮托笑2025東京」開催実現に向け、準備中。
50歳以上の女性を対象にしたモデル公募詳細は9月頃発表の予定です。
過去の困難を笑顔に変え半世紀を生き抜いた女性50人のストーリー
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