ごの祭りだけ
新しい土地で暮らし出して二ヶ月ほどの春先。目的地がどこであれ、大抵はまず国道わきの道を自転車で行ったり来たりする、そんな生活にも慣れようというころ。ふとある文字に出会った。
みののご
チョコレートブラウンの壁に、琥珀のようなオレンジイエローで、縦書きされている。書体はよく分からないが、古式ゆかしいな、と漠然と感じさせる類。
とはいえ、サイズはちょっとただごとではないかもしれない。
自転車で走る道とその四文字の間には、畑と河とコンクリートの道路がある。どれも歩いて渡るならほんの三またぎ四またぎ程度。だとしても、そこそこの距離があるわけだし、それでいて自転車で通り過ぎながらしっかり目で捕らえられる。であれば、その字はかなり大きいということになるのではないか。
実際、玄関のドアよりも上から「み」がはじまり、「ご」は敷居の下まで行かない、それぐらいの幅を取って書かれている。看板ではない。家なのである。家の壁。そこに直接、深みのあるオレンジでくりぬいたように、みののご。なかなかモダンなデザインの家の正面に、実に堂々と。
ひとたび発見してからというもの、毎回つい目をやってしまう。そばまで寄ってみたい、と思わなくもないのだが、その通りに入るには河を渡らねばならず、ちょこんとかかっている橋までは自転車でも数分ほど頑張らないとどうにもならない。
河さえなければすぐそこなのに。ほんの少し、もどかしい。
けれども、仮にそこまで行ったとして、じろじろ見ていようものなら、何が起こることやら。
だって、みののご。
みののごって?見たことも聞いたこともない。
まさか個人の表札がわりではなかろうし、宗教とか、道場とか、そのあたりだとしたら迂闊に近づくとやっかいだ。住宅地だから人目はあるにせよ、住宅地だからって安全である根拠もない。
しかし気になる、みののご。
何度目か、みののごの地点を通った日。帰宅後に紅茶で一息つきつつ、スマホを開いた。アクセスした先はウィキペディア。
なお、「みののご」も、以下に記す内容も、完全に私の捏造である。言うまでもなくみののご家の描写も。ただし文字も家も謎も、ウィキペディアに該当項目も実在する。まったくの嘘八百ではない。ご承知おき頂きたい。
ざっと読んだところ、みののごとは、東北の民間伝承のようだ。
わらしべ長者など「こうして貧乏だったおじいさんおばあさんはお金持ちになりました、めでたしめでたし」で終わる、いわゆる長者ものならば世界中にあふれているが、みののごはその逆バージョン。
野を越え、河を越えて山へ入ると、みののご様がいて、貴人を貧しくしてくれるのだそうだ。
長者になるのではなく、貧民になる。特に寓話としてはあまりひんぱんに語られていない気がするが、生まれながらの富や地位に苦悩する人というのは、昔から存在する。豊かさそのものにも、それに伴う責務にも堪え難い精神の人たち。または身分の差によって結ばれることを許されない若者たち。憂い嘆いておいでなら、みののご様に願いなさい。半月の夜、野を越え、河を越え、山に入り、生まれ持った財をみののご様にお捧げなさい。そうすれば次の満月までその身は蓑虫となりましょう。
やがて朝陽のもと、みののご様の力で貧しく生まれ変わった人たちは、山のふもとにある寒村での暮らしを許される。もう二度と富を積むことは叶わず、豊作や出世とのあらゆる縁はなくなるが、寿命のぶんだけ生きていくことはできる。みののご様の加護により、この村は常人に発見されることはない。だから飢饉の折りにも無茶な納税のために喘ぐこともない。
ただ、一年に一度、みののご様を讃える祭りを必ず開かなければいけない。おのおの家の内で最も無価値なものを右手に持ち、雨の夜に河に投げ入れることでみののご様への奉納とするのである。しかしこの時に病の幼な子と孕んでいる女が村内にあれば、祭りを決して行ってはならない。禁を犯したなら、みののご様の祟りが村中の民の貧しい血を汚すだろう。
これがみののごの伝承である。
一説によると、帝にゆかりの尊い女性がみののご入りした例が幾つか認められているらしい。また、宮沢賢治がこのみののご伝承から受けた影響に関する研究論文も発表されているとか(ウィキペディアではここで「出典が不十分」との注意書きがされている)。その他、みののご様に山で捧げた財は埋蔵金となり今でも東北から北海道のいずこかに隠されていると言われている。が、その財こそ税に充てられていたともされ、みののごの民が納税から不法に逃れてはいなかったことの根拠と主張する学者もいる。
蓑虫の別名は「鬼の子」。みののご、とは、「(一度)蓑虫(の姿となった)鬼の子」が訛ったものと解釈されているようだ。
現代でもみののご伝承と、半ば信仰と化した精神論は語り継がれており、小さいながらもお社などが建てられている。
そのほとんどは東北地方に点在している。
それ以外の地域で見られることは、非常に稀少。
その稀少が、私の家から自転車でちょっと行ったところに、あるのだろうか。
みののごのことは、大体わかった。
あのみののごの字の色の意味も、なんとなく納得できた気はする。
でもあの家がいったい何なのかは、さっぱりだ。
びっくりするくらい目立つ文字なのに、あまりに寡黙。
というのも、ついでなので、こっそり調べてみたのである。このあたりの地名と、みののごを検索バーに打ちこんで。何だか後ろめたかった。好奇心で飼い猫が死んだらどうしようかと、どきどきした。しかし今日も猫はのんびりとあくびをしては寝ころんでいる。
このあたりは思いつきで家を居酒屋にしてみたような、そんな店や宿をよく見かける。あのみののごもその一つかと思いきや、グーグルではまったくヒットしない。今どき教会だってサイトを持ったりSNSで情報を発信しているというのに、あのみののごは人を集める気がまるで無いのだろうか。
いや、だったらあの文字の大きさはどうだ。ネットを使いこなせないお年寄りによる運営だとしても、こじゃれた建物とのちぐはぐはどうにも否めない。
ウィキペディアによると、年に一度のみののご様のお祭りがそろそろ執り行われる。
あの家がもし、みののご館だとしたら。みののご祭りを祝う人が集まるとしたら。そこにちょっと行ってみるとしたら?
何が起こることやら。
くりかえし興味を失おうとして、くりかえし言ってみる。みののご様の加護なんていらないと断言できるのに、もしみののご館を訪れてみたら、何が起こることやら。
私の両親は東北出身である。だから関東で生まれ育った私も、血筋だけは純正東北種。実家では公用語だった東北弁で、声に出して言ってみようとして、やめる。
祭りじゃなくたってあのみののご館で、いったい何が起こっていることやら。
そうして気づく。四文字の意味がわからないころから、その音だけは理解していたことに。みののご。みののご。みのおのおんご。
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