【サウナ】サウナに行くときに持っていくもの。それは「問い」である
今日はGW最終日。明日からの仕事復帰に備えるべく、ホームサウナである湯の郷でととのってまいりました。
湯の郷については、以下の投稿をご覧ください。
今日の湯の郷、サウナが気持ち温度低めだったのですが、水風呂が14度前後となかなか良い感じでした。そこで3セット(サウナ→水風呂→休憩)してきたのですが、その時に降りてきた気付きをご紹介します。
それは、サウナに「問い」を持ち込むということ、です。
どういうことか、詳しく説明します。
何が起きたのか?
長いことサウナ活動、いわゆるサ活に取り組んでおり、
以下のような効能を実感しています。
すっきりする
よく眠れる
代謝がよくなり風邪をひきにくい
汗をかいて気持ちいい
ポジティブな気持ちになれる
瞑想に近い感覚を得られる
感謝の念が沸き起こる
飯がうまい
・・・などなど。
時々、よいアイディアがひらめいたりもしていました。自分の場合、サウナ後の水風呂でひらめくことが多いです。
今日は少し違う感覚でした。
サウナに行く前から、なぜか今後の自分のありたい姿についてもやもや考えていたせいでしょうか。
「自分は今後どうしたいのか?どうありたいのか?」
といった、漠とした問いのようなものを持っていました。
午前中に受けた大学院の授業で、長期的な目線(Ph.D取ったら、教員という道もあるのか・・?)を考えたこともあるかもしれません。
そうした問いは、サウナに入ると完全に忘れ去られます。いつも通り、休憩時の気持ちよい感覚に身をゆだねては、浮かび上がる雑念を手放す、ということを繰り返します。
(脳のデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)をオフにするため、無の境地を意識します。DMNについての詳しい解説は以下をご参照ください。)
2セット目くらいでしょうか。休憩している間にふっと、先ほどの問いに対する答えが、急にふっと沸き上がってきたのです。突然です。
(詳しい内容は、どこかでまたお伝えします)
不思議な感覚でした。別に答えを出そうと思っていたわけでもなく、問いそのものも完全に忘れていたのですが、ふっと、「これだな」という感覚が、自然と下りてきた、という感じです。
ありたい姿、という、気合や覚悟を入れて「ここを目指す!」という強い感じでもなく、自然と「まあ、こうなるよな」という感覚です。
すごくワクワクする感じでもなければ、大丈夫かな、という不安もありません。落ち着いた状態で、でも確信を伴った感覚に近いと思います。
目指す姿に向けたアクションも、自然と「あれをやろう、これもやろう」とアイディアも動機も湧きおこってきます。無理して頑張ろう、という感じはなく、自然と動けそうです。
時間差で自然と降りてきた、問いの「答え」
なぜ、このような現象が起きたのか、自分なりに分析してみました。
①問いに答えようとする際に生ずる、余計な雑念が手放せる
問いの種類にもよるのかもしれませんが、今回のように「ありたい姿は何か?」といった問いの場合、現状やら制約条件やら、色々な困難も同時に妄想されがちです。それらが心理的なブロックとなり、なんとか頑張ってたどりつく未来、という感覚となります。
しかし、サウナでは、余計な雑念が出てきては取り払われ、出てきては取り払われ・・・次第にととのいの境地に至ります。この時、現状やら制約条件やらといった、余計なものは手放されており、残った自然な感覚としての答えが湧いてくるのかな、と思います。
②脳がすっきりしているので、「快」の感覚と答えがセットになる
DMNの状態だと、脳はエネルギーは70-80%を消費すると言われるようです。そのモードがオフになり、脳に負荷がかからない状態となると、ポジティブな思考が生まれやすいようです。そのポジティブな感覚と、問いの答えがセットになると、自然な感覚で答えを受け取れるのかな、と思います。
言い換えれば、ネガティブを乗り越えた先のポジティブ、というよりも、自然なポジティブさ、という感じでしょうか。
(別の話ですが、無理やりポジティブ思考を目指すという考え方は、外発的な感じが強くて好きではありません)
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今回は、サウナの科学(上のリンク先ページの内容です)に、自分の感覚を当てはめてサウナの効能を考えてみました。
別に、「問い」がなければないで、スッキリできるので良いのですが、「問い」をサウナに持ち込むと、意外と答えを手にしやすいかもしれませんので、おススメです。(あくまでも、個人の感覚です)
追記:
SNSでバズっているこのブログ、最高に笑えましたので紹介します。
死ぬほどサウナ入ってるのに一回も整ったことないしむしろ乱れてる - kansou (kansou-blog.jp)