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SNS時代の表現

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SNS時代の表現について書いた自分の文章を集めたマガジンです。
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#カメラ

すべてを肯定するために(あるいは『写真で何かを伝えたいすべての人たちへ』が目指す場所)

カミュの本「シーシュポスの神話」は、多分10代から20代の僕にとって最も大きな影響を与えた本だったと思う。尖りまくってすべてを否定し、薙ぎ倒そうと思っていた10代の僕は、カミュがこの神話の最後に書いた「すべてよし(tout est bien)」という一言、そしてそれを体現した「いまや、シーシュポスは幸福なのだと思わねばならぬ。」という一文に出会って、世界への見方がガラッと変わった。 神の罰によって、永遠に岩を山の上に運び続ける(しかも頂上に着いた途端に岩は地上に転がり落ちる

プレゼンオバケ👻のその実力やいかに

友人や仲間たちが僕のプレゼンを聞いてくれることがあると、割と「話すの上手いねえ」とか言われがちなんです。で、何度も言ってるんですが、僕は基本コミュ障で人見知り極まるド陰キャで、こういうプレゼンの能力というのは後天的なもの、特に教員をずっとやってることで培われたものなんで、得意とか才能とかは思ったことないわけです。とはいえ、今回「プレゼンオバケ」という、大変名誉ある二つ名をいただいたので CP+のタムロンブースで話した内容を、スライドと台本そのまま転載してみようかなと。タムロ

SNSの罪と罰、あるいはアートの根源は共感ではなく違和感であることを思い出す

タイトルは大きく書いちゃったけど、そんな大それたこと書くつもりないですよ。とはいえ、最近よく思ってることを書きますね。今日は短めに。 皆さんもご存知の通り、SNSでは日々写真がバズってます。それがもう日常ですよね。でもよく色んなインタビューで話すんですが、5年前は違いました。まだプロのほとんどがSNSで写真をやることを真面目に捉えてなかった時代がありました。その是非はおいといて、そういう時代から5年を経て、今やSNSを使ってない人を探すのが難しいくらいかもしれません。 さ

文学の研究者が10億円調達したスタートアップの外部顧問に就任した件

若干あおり気味のタイトル、すんません。でも嘘は一言も言ってなくて、本日PRが出されました。 そして10億円というのもほんと。10億て。桁数。 というわけで、カメラ界隈の皆さんには既にもうそのサービスは浸透し始めているカメラサブスクサービスGOOPASS、そのコミュニケーションアドバイザーとして、同じく

現在の写真表現がパラダイムの転換期に近づいている可能性

なんとなくなんですが、ここ数年、写真仲間と話していると、たまに出る話題があります。「最近、前ほど熱心に撮らなく無くなってきた?」とか「前ほどワクワクしない」みたいな話です。もちろん常にそんな話になるわけでもないのですが(毎回そんな話だとつらいですよね)、ふとした合間にそんな話題になる時があります。 漠然としたこの感覚について、今日お風呂でぼんやり考えていたときに、ふと思ったんですね。これはもしかしたら、SNSを中心とした現在のデジタル写真の表現は「踊り場」に入りつつあるんで

SNS時代の写真について書いた本(共著)でます!

僕も寄稿者の一人として参加しているクリエイティブ集団XICOから、11月20日に本が出ます。その名も『SNS時代のフォトグラファーガイドブック』! 今日のnoteは、その宣伝告知ではあるんですが、「良い本やから買って!」なんて言うつもりはないです。なんせ、僕はこの本の一部を担当しているだけで、他の著者がどんなことを書いているか全然知らないから。もちろん、錚々たるメンバーが書いているので「多分面白いだろう」とは思うけど、読んでないものを絶賛したりするのは僕の性に合わないんです