実践と自らとを切り離さない教育方法学者のあり方
教育方法学者と実践とのかかわりを私は3つのタイプに分けて考えている。
1つめは、実践にかかわりをもたない、つまり、実践が行われる場と自らとを切り離す立場(スライドの①)。思弁的教育方法学。
2つめは、実践は学校で教師たちによって行われているものとして捉え、そこに自分たちが出向いて観察や助言を行うのだという立場(スライドの②)。初期「授業づくりネットワーク」にかかわった教育方法学者などこれに近いか。
3つめは、自身が行っている活動(大学での授業、学校の教師たちとの授業づくり、学校改革への関与など)にもある種の実践性を見出し、学校で教師たちが行っている実践とそれとを結びつけて考える立場(スライドの③)。
すでにいくつかの場で述べてきたように、私は、3つめのタイプの教育方法学者が必要だと考えているし、自身もそれを行ってきたつもりだ。というのも、例えば、教師の子どもに対する権威主義的態度などを問題にするときに、それを自らにもあてはめて考える、つまり、自身が(研修などの場で)教師に対して発揮し得る権威主義的態度を意識することなしでは、自らが述べることに対して不誠実だと思うからだ(「同型性」の原理)。
この立場は別に私の専売特許などではなく、「一人称的に語ること」の意義を説く佐伯胖氏もそうだし、「実践研究」の問い直しを行ってきた細川英雄氏もそうだろう。
また、佐藤学氏は、理論と実践との関係の持ち方に関して、「理論の実践化」や「実践の典型化」を、「技術的合理性」に基づくものとして批判的に捉え、「実践の中の理論」を提唱してきたが、私が唱える教育方法学者のあり方というのは、「実践の中の理論」という発想を土台にして教育現場にかかわっていく際に必要となる教育方法学者のあり方ともいえるだろう。
こんなことをあらためて書いているのはなぜかというと、先日石井編で出した本『流行に踊る日本の教育』のときにも受けてきた「現場を知らない教育学者が空理空論を…」とか「頭でっかちの教育学者が理想論を…」みたいな批判(ときどき罵詈雑言)の背景には、どうやら、批判者ら自身が1や2のかかわりしかイメージできていないという事情があるようだ、ということに思い至ったからだ。
「実践者」と「研究者」を峻別するそうした発想から、「現場知らずの頭でっかち教育学者」というイメージが結ばれやすいのは当然だ。それは、自ら生みだした虚像に対する攻撃という、あまり生産的ではないものを導いてしまう(まあ、残念ながら、この批判が当てはまる教育学者もいるとは思うが)。
なお、こうした想定は、批判の場合だけではなく、期待や応援の場合にもあてはまる。
例えば、ある方が、教育方法学者らが書いた用語事典を紹介して、このように書いておられた。
「教育方法学を研究されている方の「表現」がつまっていることを(実践者は)学んで実践に落とすことこそが「役割」」
「研究者は、実践でもがいている先生方を観察し、気持ちを汲み取り、研究に還元していくことが必要」
このように教育方法学者らの研究活動およびアウトプットに高い期待をかけていただけるのは大変ありがたいことなのだが(私も執筆メンバーの一人として感謝している)、ただしこれは、「実践者」と「研究者」を峻別する発想が色濃く、容易に「現場知らずの頭でっかち教育学者」(あるいは「教育学者の知見を学んで実行しない怠惰な実践者」)という批判へと反転しやすいものではないかと懸念する。
もちろん、いくら自らの実践性を意識するといっても、学校の教師が行う実践と教育方法学者が行う実践がまったく同じわけではないし(というか、そもそも「学校の教師が行う実践」のほうだって、置かれた立場や状況によって千差万別なのだが)、教育方法学者には教育方法学者ならではの果たすべき役割があると思う。概念の整理などはその一つだろう。
私が言いたいのは、そうした違いをふまえつつ、けれども同時に、研究者=理論、教師=実践のように単純に切り分けるのではなく、研究者が行っていることにおける実践性、教師が行っていることにおける理論性(「実践の中の理論」)に目を向けていかなければならないのではないか、ということだ。
まあ、こうした捉え方・考え方を十分に世に発信できていないというところまで含めて、教育(方法)学者は自らの役割を果たしていない、と批判されるのであれば、そうした批判は甘んじて受け止めようと思う。それに対しては、これからも地道に取り組みを行っていくしかない。
(なお、先日の『流行に踊る日本の教育』をめぐるオンラインセッションでは、亘理陽一さんが、「この本に対して『具体的な対案が書かれていない』などの批判があるが、そりゃそうだ。そんなものは一般的な正解として本に書けるようなものではない。それは各現場でローカルな文脈をふまえて生み出されるものだし、そこに私たちはコミットしてきた」みたいなことをおっしゃっていた。それもまた、教育方法学者による一つの地道な取り組みだ。)
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