「流行り言葉全部盛り」の研究紀要でいいの?
附属小など「研究熱心」とされる学校の研究紀要や指導案集で時々出会うのが、行政文書やら学者の本やらに出てくる教育界のホットなワードがやたらに散りばめられた文章だ。
いろいろ勉強されていてすごいなあとは思うけれど、実際に授業を見たり話を聞いたりしていると、なんかいろんな流行り言葉を盛り込むことがゴールになってないか、何を大事にして実践を積み重ねていくかがはっきりせず、かえって散漫な取り組み、見た目はすごそうだけれども実は中身はポソポソな状態…に陥ってはいないか、と思うことがある。
そうではなく、使っている言葉自体は目新しくなくても、出てくるワードの数そのものは限られていても、ちゃんとその言葉を使って考えていることがうかがえるもののほうが、はるかに値打ちがある&実践も豊かになるだろうに。
総花的でゴテゴテした方向にいくのではなく、シンプルだけれども少数のものを使い倒す・そこから何を引き出せるかじっくり取り組む方向が、もっと教育界で大事にされるようにしていけないものか。
…ということを、『魔術師クノンは見えている』(コミック版・既刊3巻)を読んでいて、主人公のクノンがありふれた「水属性」、ランクも平凡な「二ツ星」、使える魔術の数も2つだけ(しかも両方「初級」)であるにもかかわらず、それを縦横無尽に使いこなして周りがあっけにとられている様子を見て、ふと思った。クノンがそれを会得したきっかけが、教えることがなくなったジェニエ先生の「小細工」、つまり、意図した結果ではなく偶然の産物だったというのも興味深い点なのだが、それはまた別の話。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?