日本の美学 10
続きです。
「読書に入る前に」と前置きして「現代人が共通している読書の目的というのが、何か自分の疑問点に対する答えが欲しいということが挙げられます。(中略)しかしこれが間違いなのです。」とありました。なんていう恐ろしい前置きをしてくださるのやら。そもそも私が読書をするようになったのも、何らかの「答えが欲しい」からです。世の中、色々と腑に落ちない点が多々ある中で、おそらくその半分、いやそれ以上が自分の無知からくるものだと思っているので、勉強もせずに「おかしい!」と声を上げても仕方がありません。マスコミは頼りになりませんから、そうなると読書が必要になるわけです。しかし、それが間違いと言われてしまっては、今まで読んできた本は何だったのか、、、悲しくなってしまいます。
しかしながら、「そう思って読んでいる限り、いかに優れた本も全部ハウツー本の価値しかなくなってしまう。本当に優れた人が書いたものを本当に自分が付き合うということは、優れた人が悩んだ悩みを自分も受け取るということなのです。それは、問いを与えてもらうということです。」とあり、ここで救われました。若い頃はハウツー本を読みまくっていましたが、稲盛和夫氏の本を読んでからというもの、読書の傾向が大きく変わり、そうした本は読まなくなりましたから、著者に全否定されるような読書でもないかなと思います。ただ、「問いを与えてもらう」という所まではいきませんが、読書ってすればするほど分からないことが多くなっていき、現状でも収束する様子が見えませんので、そういう意味では新たに問いを貰っているのかもしれません。
歴史のことを知りたくてする読書というのはどういう位置づけになるのか気になるところですが、著者は歴史を知ることについては否定していないようなので、それはアリなのかなと勝手に解釈しておきます。ここでの「問い」に「負のエネルギー」と「志」が絡んできます。「志とか希望というのは、正のエネルギーから受ける力だと思っていると思いますが、そうではなくて問いなのです。」とありました。これだけでは訳が分かりませんが、まず、地球上と宇宙ではエネルギーの正負が逆転すると別な本にありました。ですから、宇宙における正のエネルギーから志や希望を受けるということでしょう。「本当のことを言うと志を立てる場合は、答えを聞いてはいけない。一生涯に亘って苦悩し、疑問を持ち呻吟し悩み続けるから志になる」とありました。苦悩、疑問、呻吟、悩み、、、全く自分に足りておりません。楽しく暮らしてしまってありがたいのですが、経営者としてもっと苦悩するべきところはまだまだあるはずです。
続きます。