マイ・バック・ページ
川本三郎著「マイ・バック・ページ」を読みました。著者は評論家、翻訳家で、本書は著者が週刊朝日及び朝日ジャーナルの記者として活動していた1968年から1972年の回想録です。本書も壷内祐三氏と福田和也氏の対談で登場したのでチェックしていたのですが、どのような取り上げ方をしていたのかすっかり忘れて、予備知識ゼロの状態で手に取りました。
安保闘争が激しかった年代の話で、本書ではそうした運動を新左翼運動と書いていました。著者はジャーナリストを志し、2年の就職浪人を経て朝日新聞に入社、就職浪人の時は、何もしないわけにもいかず新宿でバーテンダーをやっていたということですが、流石にちょっとカッコよすぎでしょう。読んでいてちょっと恥ずかしくなりました。でも、所々で当時流行した音楽などを引用するなどしていて、そうしたところも若干鼻についたのですが、私も結構同じようなことをやっているので、ちょっと考えてしまいました。
朝日新聞に入社ということでしたが、新左翼運動をしている方々からすると、朝日新聞も「ブル新」なのだそうです。「ブル新」なんて意味が分からず調べてみましたが、「ブルジョア新聞」の略で、利益追求という資本の理論で事業展開する大新聞に対する揶揄だということでした。左翼の朝日新聞さえ揶揄してしまうのが新左翼という理解でよいのでしょうか。
いちいち共感できなかったのですが、当時の佐藤栄作首相の南ベトナム訪問に反対する学生の抗議行動で、学生が「機動隊に殺された」とありました。機動隊がどのようなことをしたのかはわかりませんが、抗議行動があるから機動隊が派遣されるのでしょう。実際どういう状態で亡くなられたのかまでは書いてなかったのですが、この字面で「殺された」と言ってのける感覚が理解できませんでした。
著者は活動家に取材をする等してシンパシーを感じて行きますが、取材で接触したKという活動家が自衛隊員を殺害し、その後に取材をして証拠品を預かってしまいます。上司に相談すると、朝日新聞側から警察に協力するようにとの指示が出ますが、著者はジャーナリストのモラルとして、ニュースソースの秘匿を重視したいと言い張ります。この辺りも全く共感できませんでしたが、最近聞いた「非暴力を目指す活動の中の暴力だから暴力ではない」という発言とちょっと似ているような気がしました。
著者の主張は「Kは思想犯だから絶対に警察に通報しない」ともありました。これは「思想犯のニュースソースは秘匿すべき」という解釈できないこともありませんが、思想犯だろうが何だろうが、人を殺していることには変わりありません。これだけ威勢がいいわけですが、Kから預かった証拠品を持ったまま交番の脇を通ることができず、友人に預けてしまい、その後、友人に焼却を依頼しています。そんなこんなで証憑隠滅罪で逮捕されてしまい、殺人教唆などについても追及されるのではないかと自分で勝手に疑心暗鬼に陥ります。
逮捕され、朝日新聞も懲戒解雇となりますが、「朝日新聞社に馘首された」と書いていました。この辺りも理解に苦しみましたが、保釈された後に、「まず裁判をどう闘っていくか。もうひとつは懲戒免職処分に対して朝日新聞とどう闘っていくかだった。」とありました。百歩譲って裁判を闘うというのはいいとしても、これで朝日新聞とも闘っちゃうのかと驚かされました。結果としては闘わなかったようですが、周囲からは闘うことを勧められたということでした。
これって、若いとき読んでいたら、「権力に蹂躙される純粋な思い」みたいな感じで共感できるものなのでしょうか。そもそも著者は42歳の時に本書の連載を開始していますが、そう考えると、やっぱり理解に苦しみます。そんなわけで全く共感できない一冊でした。