「執行草舟の視線」の難しい言葉 6
続きです。
「憧憬」
「しょうけい」あるいは「どうけい」と読み、憧れること。
「叢林」
「そうりん」と読み、木が群がっては言えている林という意味です。
「見象鑑」
「見象」と書いて「げんしょう」と読み「現象」と同義だそうですから、「見象鑑」は「げんしょうきょう」で良いのかもしれません。「現象を映し出す鑑」という意味で捉えてしまえば簡単ですが、「見象鑑」で検索すると「隅田八幡神社人物画像鏡」のWikipedeiaがヒットします。しかしこれは「象鑑」だけがヒットした可能性もあり、中を読んでもつながりがよく分かりませんでした。
「逍遙派」
「しょうようは」と読み、「逍遥」は「坪内逍遥」から来ていると思うのですが、
「吾輩は猫である」の中には「逍遥派の元祖アリストートルその人である。」という記述があるようです。「アリストートル」は「アリストテレス」のことでした。
「逍遥派」について、はっきりと書いてあるサイトはありませんが、「逍遥学派」は色々ヒットするし、同じ言葉でよさそうです。逍遥学派またペリパトス派といわれる、アリストテレスが創設した古代ギリシアの哲学者のグループであり、アリストテレスの学園であるリュケイオンの学徒の総称だということです。
大変お恥ずかしいのですが、私は「逍遥」が完全に分かっておらず、「坪内逍遥」の作品が好きな方々、影響を受けた作家などを「逍遥派」なんて言うのかと思っていましたが、「逍遥」には「そぞろ歩き」とか「散歩」みたいな意味があるのだそうです。それらのギリシア語に当たるのがペリパトス。アリストテレスらが散歩をしながら講義を行ったからとか、リュケイオンの歩廊を拠点として講義を行ったからなんて言う説があるそうです。
「黙示録」
「もくしろく」と読み、何度も目にしている言葉ですが、ちゃんと意味を把握しておりませんでした。「ヨハネの黙示録」、「神学者聖イオアンの黙示録」、「使徒聖ヨハネ黙示録」、「ヨハネへの啓示」も同じものを指すそうです。新約聖書の最後に配された聖典のこと。
「聖俗不二」
こちらも上手くヒットしませんでした。読み方は「せいぞくふじ」で良いと思いますが、「聖俗二元論」なんて言うのも登場しちょっと掘り下げてもどうにもならなそうな感じです。
「ラングロバン」
こちらはとあるblogが一件だけヒットするという希少な言葉です。アンドレ・マルローの本からの引用で「包括的世界」という意味のようです。
「包括世界」
「ほうかつせかい」と読み、こちらも哲学的にはどのような言葉になるやら、これから勉強していかなければいけないところですが、とりあえず言葉の意味としては「全部ひっくるめた世界」みたいな感じなのでしょう。
こんな感じで何とか終了しました。いやいや、検索してもヒットしないような言葉は、いくつもそれが登場する分を読みこなして意味を涵養していかなければいけないのでしょうが、その域にまで達するにはまだまだ時間がかかりそうです。
結構大変でしたが、勉強になりました。