コミンテルンの謀略と日本の敗戦
江崎道朗著「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」を読みました。著者は安全保障・インテリジェンス・近代史の研究を専門とする評論家です。大東亜戦争についての本は、定期的にいろいろと読んでおきたいと思っているので、手に取りました。
1917年のロシア革命以降、ソ連が構築したコミンテルンという世界の共産主義ネットワークが、世界各国のマスコミ、労働組合、政府、軍の中に工作員を送り込み、対象国の政治を操ろうとしていたということでした。この辺りは、ぼんやりとしか知らなかったのですが、アメリカ世論の反日誘導、ハル・ノートの原案作成、ヤルタ会談等等、ルーズベルト民主党政権内にいたコミンテルンの工作員が関与しているとのことでした。恐ろしい限りです。
日本ではリヒャルト・ゾルゲ、尾崎秀実なんていうところが有名ですが、そうした工作に加えて、当時の日本のエリート層の多くが社会主義に共鳴していたところもあるとありました。かなり全体的に左傾化していたのですね。知らなかったのですが、明治維新以降、日本は一般庶民とエリート層に二分されていたとありました。古き良き日本を愛する庶民と、日本の独立を保つために欧米の文化を学ばなければならないというエリート層という感じだったそうで、どちらも「日本のため」というのが難しいところだと思います。
支那事変を長引かせようという工作から、大東亜戦争に発展してしまったとありましたが、この「事変」という言葉について言及されていました。満州事変、支那事変は歴史の授業で聞いたことがありましたが、「事変」は事件や戦争と何が違うものなのか知りませんでした。当時の文書には「事変の文字を用いて『戦争』の字を用いず国民の戦争意識を極力抑うる挙に出で」とあったそうです。また、著者は戦争を「事変」と言い換えてることで天皇大権と関係なく遂行できるため、意図的に「事変」という言葉を使っていたという偽ワン区もあるとしていました。
戦争責任については昭和天皇、軍部の暴走、特に陸軍等等、色々と言われていますが、そんなに単純なものではなく、本書にあるコミンテルンの工作等も含めて複雑な事象が絡み合った上での結果なのだということを、今更ながらに教えて頂きました。まだまだぼんやりしているし、本書が全てでもないでしょうから、他にもいろいろと読み漁っていきたいと思います。