日本の美学 9
続きです。
ここから講演テーマが「日本人の読書」に変わりました。ました。涎が出るようなテーマです。「これからの時代は、過去に著された優れた書物を通じてしか人間成長が望めないという時代に、日本だけではなく全世界が突入しています。」とありました。「そうなの?」っていう感じですが、「原因としては、アメリカのグローバリズムによって、軽薄短小な物質主義の頂点に世界中が向かっているからです。精神的なこと、人間的なことというのは過去の人間が著した書物の上でしかもう学べないのです。」ということでした。確かに、現代の恵まれた人間よりも、過去の厳しい時代を生きた人間からのほうが学ぶことは多いでしょう。そのあたりは、我々が恵まれすぎている弊害なのでしょうね。
「本当の読書体験というのは、自分の魂の成長だけのためにあるのです。魂の成長というのは、優れた魂を持っていた人との魂の交流以外にはない。それ以外では肉体を除いた魂の向上はもたらされないのです。」というあり、だからこそ「読書は命懸け」でなければいけないとのことでした。また「何か一つのことを命懸けで貫くということが武士道の根源です。私の場合は、自分の武士道の中心にまず読書をもってきたということなのです。」とありました。私自身のつたない読書体験の中では、稲盛和夫著「生き方」が一番強烈なものでした。「この世の例えば栄華とか、この世の出世とかお金とか友情とか(中略)、そういうものを全部含めてこの世に未練がある人は、命を投げ出して人類の文化を創ってきた優れた先人の魂と触れていないということなのです。」とありましたが、私自身はここまでとはいかなくとも、「全部含めて」の中の一部がすっかりなくなったような気がしました。しかしながら、その時は何の気なしに読んだだけですから、「命懸け」なんて全く思いもしていません。しかしながら、自分の中のそこはかとない悶々としたものが、稲盛和夫氏の強い魂に揺さぶられて憑き物が落ちたようになったと思います。ちなみに、何かに取り憑かれたことはありませんので、この表現は正しくないかもしれません。あれから20年弱が経ちますが、それ以上の読書体験がないのは、著者のいう所の「命懸け」なところが足りないからなのでしょう。
続きます。