死刑求刑

 京都アニメーション放火殺人事件の裁判で、検察側は「理不尽で身勝手極まりない。被害者は日本の刑事事件史上突出して多く、類例を見ない凄惨な放火殺人だ。」として、被告に死刑を求刑しました。一方、弁護側は被告が重度の精神障害により責任能力を問えない心神喪失の状態だったとして無罪を求め、仮に有罪だったとしても死刑は残虐で回避すべきだと訴えたそうです。


 死刑に反対しているというのは聴いていましたが、流石に無罪はないだろうと思います。が、以前読んだ裁判所関連の本には、双方の言い分に乖離がある場合に「真ん中を取って」みたいな形で判決に持っていくなんて言うことがあるとありました。そう考えると、自分が思う結果に近づけるためには、相手の主張と目一杯反対側なる主張を掲げることになるでしょう。私自身はそうした姿勢こそが一番おかしいと思ってしまいますが、それは私自身の感情でしかありません。


 しかしながら、そうであったとしても流石に無罪というのは荒唐無稽だと思います。「責任能力を問えない」なんて言う論調はまさしくそのためのものでしかないでしょう。流石に弁護するにしたって、やらかしてくれたことをしっかりと考慮したうえでの主張を展開してほしいものです。こと殺人事件においては、心神喪失状態、責任能力を問えない、無罪なんていう論調が弁護側のテンプレートになってはいないでしょうか。全然詳しくないので何とも言えませんが、報道で見聞きするだけで辟易としてしまいます。


 心神喪失状態に陥っていたとして、被告が再度心神喪失状態に陥らないという保証があるのか。更生の可能性なんて言いますが、そうならなかったときに誰が責任を負うのか。運送会社の社長なんてやっていると、かつて犯罪に手を染めてしまった方が募集に応じてくることがあります。私が男気を出して「ウチの会社で更生させよう」なんて思いあがったところで、せいぜい指導できるのは月に1,2回程度、しっかり面倒みられるわけではありませんから、そのあたりは慎重に担当者と打合せするようにしています。ましてや、自らの主張が通れば、その後とことは知らぬ存ぜぬとなってしまうような方が「更生するかも」なんて言ってもどうかと思います。


 死刑廃止が目的ならば、国会議員に立候補して、法律を改正するというところを目指して頂いて、現場に主張を持ち込まないで頂きたいものです。

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