悲願へ 第二部 16
続きです。
次の質問は「物心一如」について。松下幸之助は様々な家電製品を生み出し、世の中に流通させていきましたが、物が豊かになっても心が豊かにならないことから、PHP研究所や松下政経塾を設立したり、講演活動をしたりしたと理解して良いのかというものでした。
松下幸之助自身が著書でそのようなことを言っているそうですが、著者は松下幸之助がそうなることをわかっていたと言っています。心が大切なのですが、戦後さながらの日本社会でそんなことを言っていても、食べる物がないのですから、通じるはずがない。まずは、各家庭で女性が楽になり、色々な人が便利に暮らせるような社会を築くことを志したということです。「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、移植が足りないということは本当に大変な状況だったのでしょう。現代を生きる我々には全く分からない世界です。私の母が昭和21年生まれですが、その年代でも分からないのかもしれません。祖父母の年代、特に女性の家事労働が大変だったということだと思います。
「自分が幸福になりたいとか、金儲けだけを考えているような事業で、いい製品を作ることは出来ません。その日その日の生き方としては、いい製品を作ろうという働きで動いている。そうなっていますが、その働きのもとになる人間的な思想という面では、自分の人生を擲った体当たりの姿勢が、そういう製品を作ることの出来る社会を創ったという話です。」とありました。全体のまとめになるような部分だと思いますが、難しいところですね。長期的な損得を考えないという解釈でよさそうな気がしますが、やっぱり仕事をする上で採算が合うかどうかというのは考えなければいけないと思います。とはいえ、「採算」と「金儲け」は別な話で、採算が合わなければ、事業は継続することができなくなってしまいます。それは相手にとっても良くないことですから、継続することも含めて体当たりしていくということなのかもしれません。
しかしながら、稲盛和夫氏の「能力を未来進行形で考える」も「体当たり」に近いものだと思います。しかしながら、私自身は稲盛氏のこの言葉も、ある程度目算が立つ上でのものかと思っておりました。先述した「採算」についても同様の思考なのですが、その考え方はちょっとセコくて、著者のいう所の「体当たり」にはならないのだと思いました。
さらに続きます。