愛という名の支配

 田嶋陽子著「愛という名の支配」を読みました。著者は元大学教授のフェミニストです。友人が本書を読んで「著者の印象が変わった」と言っていたので、私も手に取ってみました。

 裏表紙のあらすじに「どうして私はこんなに生きづらいんだろう。」とあり、いきなり共感できませんでした。生きづらいのは著者だけではありません。著者の母親は著者に対してとても厳しい方だったそうですが、著者の弟には優しかったようで、著者は母親からの「いじめ」と捉えているくらいでした。教科書を引き裂さかれたり、定規で叩かれたりとなんとも大変だったということが分かりました。

 そんな著者の母は、夫に大事にされていたそうですが、「母は、あれだけ夫に大事されていても、ただ、あれしろこれしろと言われている女房にくらべて、首の鎖の長さがちょっと長いだけのこと」と言っていました。何かやりたくても夫のハンコが必要だから、自由がないというのですが、「首の鎖」なんて表現をしなくても良いのではないかと思います。

 「もしかしたら、むかしむかし、男は男だけで、女は女だけでべつべつにくらしていたのではないか。」とあり、ここは著者の想像です。「男は子どもが欲しくなると、女族のところへ夜這いに行く。生まれた子どもは女の子なら女族のところに残し、男の子なら男族が貰っていく。そうやって男と女は、のんびりべつべつに暮らしていたとします。」と続きますが、ここは仮定です。そこから「それなら、なぜべつべつに住んでいた女族と男族が一緒に住むようになったのか。それは、男族が子どもをたくさん必要とし出したからです。(中略)たくさんの労働者と兵士と子孫を増やすためには、効率よく子どもを手に入れる必要が生まれます。もうこれまでの夜這いでは間に合わなくなります。女を手近に置いておいた方が、何かと便利だということに気づきます。そこから女の略奪がはじまります。いまで言う拉致です。」と展開されていくのですが、どうしてそうなっちゃうんでしょうか。夜這いならオッケーみたいにも聞こえてしまうのですが、どうなんでしょう。

 ガレー船の例えが何度も出てきますが、ガレー船とは甲板に王侯貴族が乗り、舟艇で奴隷が漕いで進むという船の事だそうです。この舟艇にいるのが女性で、甲板にいるのが男性、女性は奴隷だというのですが、どうしてそうなっちゃうのやら。

 その後も「どうしてそうなっちゃうの?」のオンパレード。言葉も「搾取」、「狭窄衣」。「いつでもレイプ可能というのが、着物やスカートの特徴」となんだか怖い表現が多いです。「TVタックル」等に出演していた頃の著者は、番組の演出もあってちょっとヒステリックな印象になっていましたが、本書を読んでもそうした印象はあまり変わりませんでした。

 しかしながら、社民党の議員だったような記憶があったので調べてみると、社民党から立候補して当選するも、社民党の北朝鮮拉致被害に対しての対応を批判して離党していました。ここでちょっと印象が変わりましたが、それでも大筋は変わりませんでした。

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