ひきこもりおじいさん#60 叫び声
高層ビルの谷間から見えるよく澄んだ青空を眺めて、隆史は帝国ホテルへと歩いている。昨日の愚図ついた天気が嘘のように今日は快晴だった。日曜の日比谷の街には、十一月にしては暖かい陽射しに誘われて、まだ午前中でも多くの家族連れや恋人たちがウィンドウショッピングを楽しんでいる。すぐ目の前を大澤と信之介が何事か話しながら歩いているが、隆史はふたりの後をノロノロと付いていったので、少しづつ距離が開いてしまっていた。
営団地下鉄日比谷線・日比谷駅から帝国ホテルまでは歩いて五分程の距離の筈だ。時折、先行するふたり姿が視界に入ると、隆史の脳裏には昨日マスターと大澤が美幸について喋った言葉が不意に甦った。それは店に入って二時間程経った頃、隆史はちょうど信之介がトイレに行って席を外したタイミングを見計らって、思いきって大澤とマスターに美幸の事について尋ねたのだった。
「美幸ちゃんはさ、ある日突然、松田くんと一緒に住んでたアパートから出ていったんだ。それ以来、音信不通なんだって」
「え?そうなんですか?」
「隆史くん。きっと今日信之介の部屋に泊まってみれば、美幸ちゃんがいないことはすぐ分かるよ」大澤はそんな風に予言めいた事まで言った。
果たしてそれから隆史が、信之介の部屋に三ヶ月振りに足を踏み入れると、そこには綺麗に整理整頓された部屋の面影はなく、雑然と散らかった男の部屋が残っていた。
「どう?散らかってるだろ?実は美幸はこの部屋には居ないんだよ。出て行ったんだ」
「そんな・・・」
「とうとう愛想を尽かされたみたい。さ、今日は疲れたし、早く寝よう」
そう言ったきり信之介は美幸に関して口を閉ざし、隆史もそれ以上詳しい理由を聞くことは出来なかった。しかしそれ以降、何か消化不良なモヤモヤしたものが隆史の胸の辺りにずっと燻っていた。
「隆史くん!早く、早く!赤信号になっちゃうよ!」
振り返った信之介が大声で叫んだ。
「すみません!」
信之介の叫び声で現実に引き戻された隆史は、点滅する信号を見て慌てて横断歩道を駆け抜ける。この横断歩道を渡ると帝国ホテルはもう目と鼻の先にあった。
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