私の投票行動について:not 政策 but 政体

 選挙イヤーの今年。色々な人が色々なことを言ってくるので、私の選挙(投票)についての考え方をまとめた。なお、私の考えは『銀河英雄伝説』に多分の影響を受けているので、ご注意を。

民主主義(民主政)について

 政体を単純化して、君主政と民主政の二項対立で考えたとき、色々な違いはあろうが、最も違うのは「主権は誰にあるのか」という点である。君主政は君主(独裁者)に主権があるし、民主政は民衆に主権がある。この違いが何を生むかと言えば「政策の実現力」である。

 某将軍様が「おっしゃ、戦争したるわ」と言えば、某国は戦争に突入する。誰かが「ちょ待てよ」なんて言ったところで、一族郎党皆殺しである。それに対して、民主国家の政治的トップが「おっしゃ、戦争したるわ」と言っても、あちこちから「ちょ待てよ」の声がわいてしまい、なかなか戦争を始めることはできないだろう。

 一方で、某将軍様が「地球環境がやべーから、工場の二酸化炭素排出は総規制するわ」と言えば、某国は世界で一番エコな国になってしまう。企業の偉い人が「ちょ待てよ」なんて言ってしまえば、一族郎党皆殺しである。それに対して、民主国家の政治的トップが「うちの工場の二酸化炭素排出量は総規制するわ」と言えば、あちこちから「ちょ待てよ」の声がわいてしまい、翌日には辞職だろう。

 政策の実現力という点で言えば、君主政は諸刃の剣であり、良くも悪くも振れ幅が大きい。それに対して民主政はなかなか実現できなくて、実現しようとすると最大公約数的なものになってしまうので、振れ幅が小さい。

 私の理解では、現在の世界で民主政が優位であるのは、君主政(独裁)の良い政策の実現力というメリットよりも、悪い政策の実現力というデメリットの方が大きいからである(例:第二次世界大戦)。そのため、民主政は君主政と比較したとき、積極的に選ばれる政体ではなく「やらかしにくい政体」として消極的に選ばれる政体である。

 そして、その「やらかしにくい政体」としての民主政において、何をやるのか(何をやらかすのか)を決める一大イベントが選挙である。

選挙について

 選挙となると、様々な政策が焦点となる。社会保障、防災、原発、自衛隊、税…。様々な候補者が様々なことを人々に訴えかける。人々はその訴えを聞きながら、自らの考えに近い政策を訴える候補者に自らの一票を投じる。

 らしいが、私は違う。私が投票行動において実現したいのは、個別政策ではなく、民主政の維持、正確に言えば「やらかしにくい状況」の維持である。

 特定の政党(政治家)が議会において圧倒的多数を占め、かつそれが長期に渡り続いてしまうと、徐々に民主政と君主政の差が埋まり「やらかしやすい状況」が作られてしまう。それは勘弁してほしい、というのが私の投票行動の根っこにある。

投票行動について

 「やらかしにくい状況」、具体的には、①特定の政党(政治家)が極端に長期に渡って政権の座にない、②与党と野党との力関係(議席数)に極端な差がない、という状況が私には望ましい。とすると、私の投票行動の原則は、次のようになる。

 ①与党には投票せず、野党に投票する。②与党に対抗できない少数政党や、理念は立派だが当選する見込みのない候補者(投じた票が死票になる可能性が高い候補者)には投票しない。③以上の2原則の結果、投票することになる政党(政治家)がどのような政策を訴えているのかは考慮に入らない。

 具体的には「野党第一党(になる可能性が高い)の政党(政治家)に投票する」というものである。そのため、選挙という状況において、私は特定の政党・政策を支持するということがなく、政権交代等により与党・野党が入れ替わった場合、私が投票することになる政党・政策も変わることになる。

まとめ

 こんな私であるから、選挙に際して、個別政策の意見を聞かれても回答のしようがない。意見を持っていたとしても、私の場合、それと選挙(投票)とが関係しないので「この場で話すことではないですね」みたいな訳の分からない回答をしてしまうことになる。

 選挙に求めることは人それぞれ違うので、当然、個別政策について議論をするのは自由である(し、した方が良いと思う)。しかし、私はまた別の視点から投票しているので、意見を聞いてくる際には、そのあたりを考慮していただけると嬉しい。

 (ところで、この記事は「政治的行為」に該当するのだろうか。ドキドキ。)

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