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教育虐待に苦しんでいる方へ
教育虐待の悲惨な事例をニュースで目にしました。
悲しい事件に到った状況を鑑みて、苦しんでいる方々に少しでも励ましと慰めの言葉をお伝えするために、教育虐待に対する私の見解を発信したいと思います。
教育の意味そして人権に定められる教育の元来の意味という観点から解説していきます。
始めに伝えておきたい結論としては、人権に基づく「教育」の意義は可能性と自信を育み人間性を肯定することにあるということです。
教育のそもそもの意義
そもそも「教育」という言葉は、中国の古い思想書から引用され用いられるようになったものです。勢力争いや王と臣下の関係といった当時ならではの背景がありますが、「人の才能を伸ばす喜び」を解説した文言の中に「教育」という言葉はあるのでした。
「教育」の意味は、地域と時代それぞれに変化を見せます。
戦乱の時代では自陣営に有利に事を運ぶ能力と強く関連する意味合いともなりました。科学的思考が弾圧された時代では、迫害を逃れながら自然法則の探求または差別を乗り越えつつ聖典を読解するためのものになりました。
そこには様々な目的が見られます。言葉にもされないくらい無意識的に当時の文化が及ぼしていた影響などとにかく様々な要素がありますが、現代において教育とは人間に備わる権利である「人権」のひとつとされ、日本ではそれに基づいて子供に教育を施すのが義務とされています。
人権として教育が重んじられた背景には、人が人を見下し命令に従わせ下僕として扱う時代に対する反省があります。
虐げられていた人々も従わせていた人々にも自然の法則を理解する力の理性や伸ばすべき人間性が備わるのだとする「平等」の発想が、その土台となりました。
この平等という言葉はよく勘違いされるのですが、単純に利益や快楽や成果を分けるといった意味ではありません。
人が人を虐げるのが当たり前だった時代から抜け出し、個々の人間には平等にその人間性や才能を発揮する権利があるということ。それを可能にする社会を「皆で」作り上げることを目標にすること。これが元来の人権の「平等」の意味です。
個々人が自身の可能性を追求する権利の土台を育む「教育」
平等の意味を正確に理解するために不可欠な「教育」
このふたつの意義が、社会の一大方針に「教育」を据えた背景といえます。
ふたつ目には、社会のルールを自分勝手な利益に都合よく塗り替える思惑または新たに生まれる差別を見抜き、元来の人間の肯定から外れないようにしていける市民を育てる意味合いもありました。
人は主観的に社会全体の動きを把握することはできません。
主観的にその意義を見た場合、教育とは「自分の力を発揮させるため」と「より確かな人生(社会生活)を歩む力を身につけるため」であるといえます。
新たに生じた「教育」の目的
人権を基礎にする社会では教育に「個人の才能の発揮のため」と「社会運営を確かなものにするため」のふたつの意味合いを持たせます。
しかし皆さんご存知かと思いますが、教育には成績(学歴)を、一生を左右する就職や社会的な権限を付与する根拠として見なす一面も生じています。
ここには明らかな問題があるのですが今回その指摘は本筋から逸れるため避けます。
代わりにこの項で、元来の意義を見失い目的が捻じ曲げられるその過程を解説します。
その人個人の自信や意志に基づいて才能を発揮する土台となる「その人のためのもの」であったはずの教育は、社会的評価や金銭に密接に結びつくものと捉えられました。
子供に「成績と結果を生み出させるもの」と解釈されるようにもなったのです。
教育の元来の意義を伝えられることなく押し付けられる知識は希望と程遠いものです。子供にとって「親による教育の強要」とは、発言の裏にある親の願いを叶えるために生きることの強要を意味するのです。
これが「才能の土台と自信を育み確かな人生を歩む」という元来の目的から外れ、確認不可能な「親の発言の裏の願い」に子供時代を捧げる人々を生み出す原因になっているということです。
成果を子供に強要する親の立場からは「子供の未来や収入のため」と強要を言い換えることができますが、子供にとってそれは親の裏の願いを叶えるために費やす努力と人生を「未来や収入のため」と表すよう促されているということです。
"教育"の元来の目的を再確認する
子供に教育を施すのは基本的により年長の者の役割です。
具体的には子供を信じ本来の伸ばすべき性分を豊かに発達させることです。
人権として「教育」がなぜ重んじられるのか。
それは確かな真実を表した言葉や人が人を支配する異様さを指摘する言葉は規制され、指摘した者を死に追いやってきたからです。
人権が生まれた欧州ではそうでした。
歴史的に日本が厳密に同じ背景を持つわけではありません。
しかし理性を軸にすることで、誰もが「知識や科学の恩恵」を受ける平等があると日本人は共有することができました。
そして人々にとって人権は弾圧を受ける他者を国を越えて協力し助け出す希望ともなりました。
義務教育が制定された後は、身分や性別などで左右されない教育を受けた人々は古い制度が生み出す弊害を指摘できるようになりました。
学問は次のような力を人に与えました。
歴史や文献は文化を保ちつつ新たなルールを生み出す筋道とルールの目的の再確認を可能し、科学や数学は合理的な手段を生み出す手法を深めさせ、芸術は人間性の肯定、体育は身体の可能性や日々の豊かさを切り開くものとなりました。そしてそれらの知識は開かれたものとされたのです。
平等に知識の恩恵を受ける権利を証明し、人間関係を導くガイドとしての徳目を古い書物から確認する方法も示されました。
人々による新たな社会のルールづくりに関しては、私達の確認の積み重ねをまとめる選挙を確かなものにさせる術ともされました。そのためのものでした。
なんなのでしょうかこの現状は。
残念ながら子供に成果を強要するばかりの親はこの文章を読まないでしょうし、読んだとしても理解は困難でしょう。
なぜなら、教育そのものの理念の受け継ぎが失敗しているからです。
人権に基づく「教育」とは
それは人の理不尽を超えて先に進む理念を意味するものです。
「親」がたとえその理念を理解してなくても、教育虐待を受けている皆さんは人権と結びついて「人間性を肯定するもの」となった知識と、人々が迫害に耐えながら昔から引き継がれてきた「人が自由になるための道筋」に触れていることを意識してください。
それが隠されてきた真実です。
目の前に手に取るべき真実が何度置かれたとしても、矛盾する説明で覆われている限り、人は安心して手に取ることは困難です。
また、たとえ親の願いであってもその実質が「言葉の裏にある願いを叶えろ」であったり、「あなたのため」としつつも当人の真心を踏み潰しながら押し付けるものは、直感的に おかしい と感じる力を人は備えています。
その矛盾を見抜き分析する力が理性です。
繰り返される命令に裏があると見抜くのは、帰納法という事実を共通項から見出す手法です。
「あなたのため」と言いつつ欲求に沿わないと激情する親のおかしさは、「三段論法を間違って使っている」のを見つけることで矛盾を明らかにできます。
つまり教育虐待で苦しさを覚える方々は正確な判断をしているのです。
人の可能性を伸ばし人間性を肯定するためであるはずだった「教育」が、人を抑圧する手段になってしまっているのは皮肉なことと言わざるを得ません。
しかしその提示されている「知識」は、印象を歪められてはいますが、その奥でずっとあなたを肯定し続けるものであったということです。
まとめ
矛盾のある命令を押し付ける行為は、古来より人を弱らせ服従させる手段としても用いられてきました。
戦争での虐待、仕事場でのパワハラ、そして家庭内の虐待でもそうです。
それは問題であると様々な学問分野から提起されていますが、教育そのものを虐待にしてしまうこの教育虐待は、本質的には相当悲惨なものといわざるを得ません。
人間性の土台に関わるからです。この辛い目に遭っている人が確実に数多く存在しています。
生きるということは心からの願いに沿うことです。熱情であったりささやかなものであってもそれは同じです。
虐待を受ける人々は常に生きることに苦しみを感じています。苦しみを忘れている時を幸せと思う方も少なくありません。
私は皆さんに生きているのを忘れるくらい幸せになってほしいです。
生きているのを意識するのはそれほどの辛いことがあったからです。
本当に自身の願いに沿って生きている時や心から穏やかに過ごしている時は、自身の体や命など忘れているものです。
真剣に取り組んでいる時、人は自分を忘れており、気づいた時に疲れや酷使した体の痛みに気づきます。そこで休息取るのを繰り返すことで技術や知識を磨きながら、また明日を迎えるという日々を送るのです。
この文書は「こう動きなさい」といった具体的なアドバイスではありませんが、苦しんでいるあなたがどれだけ正しいか、どれだけ可能性があるか、あなたが学問に触れながらもどれだけ非科学的なことを強いられているのかを意識するためのものと捉えていただければ幸いです。
勉強が苦手な人はしなくていいという意味ではありません。少なくともほとんどの人はかなりのことを理解する力を持っているのです。教育虐待による苦しみはその証明のひとつとなり得るということです。
古い話ですが、ある数学者が宗教の聖者の星占いをしたのが見つかり投獄されたエピソードがあります。その数学者はその後も上手く生きながらえ、遺した成果は二百年近く人々が受け継いだ結果、ニュートンが参考にするまで引き継がれました。
虐待や投獄がずっと引き継がれたのかとも思いかねませんが、これは人には意志と理性が備わるとし、自信を持つよう促す「人権」の発想に大きく関与した知識の流れのひとつです。
異様な理屈より人の方が大きく、あなたの可能性の方が大きいことを信じて、自分のおかれている状況のおかしさを見抜いてください。
そこから辛い状況を抜け出す具体的な方法を選んでください。
公的な相談窓口に状況を伝えに行くのも大きな一歩です。
決して早まらないように。
理不尽な状況から抜け出すことを多くの人々が歴史的規模で「正しい」と証明し続けてきました。今後はそれを頭の中の片隅においておいてください。