「歴史は決して出来事の連続ではない」
昭和45年8月9日、雲仙で開催された大学生の合宿教室で、当時68歳の小林秀雄氏の講演を拝聴したことによって、歴史に開眼し、ライフワークの歴史研究へと私を誘(いざな)った。
九州女子大学の山田輝彦教授によれば、この講演はちょうど『本居宣長』の30章前後を書かれていた時期で、実に深い内容の講演であった。
●小林秀雄の学問論、歴史論、天皇論
この講演記録は『日本への回帰』第六集に収録されたが、講演後の学生との質疑応答は、『新潮・小林秀雄追悼記念号』に掲載された。山田教授が書かれた解説によれば、講演の柱は学問論、歴史論、天皇論の三つであった。
ある時は言葉を探すように瞑想し、一語一語嚙みしめるように語られるかと思うと、早口にたたみかけるように、「今の学問は君たちから生きた知恵を奪っています。君たちはそう感じないか」というような激語が飛び出してくる。
講演はまず、本居宣長の「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」から始まった。日本人の桜への哀惜を枕として、話は歌の中の「大和心」に触れる。「大和心」も「大和魂」も、その出自は平安女流文学であり、男の「才(ざえ)」に対する、女の生活の知恵を意味した。
「日本人は大和心をなくしてしまうように学問せざるを得なかった」と小林氏は指摘する。日本の学問は、常に舶来の学問との戦いを宿命として背負っていたのであり、『古事記』もそういう文脈の中で捉えられている。
次に「歴史論」として、本居宣長が『古事記伝』完成の折に詠んだ「古事(ふること)のふみをら読めば古(いにしえ)への手ぶり言問ひ聞見る如し」の歌を引用し、「宣長の学問は古えの手ぶり口ぶりをまのあたり見聞くようになること」だと指摘した。
歴史は「調べる」だけではなく、上手に「思い出す」ことだと指摘し、次のように断言する。
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