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『言語の本質』〔本〕人
ことばとはなにか。
(1990年代前半)当時、「言語とは、身体感覚とは直接つながりのない、抽象的な記号である」という見方が主流であった。
1990年代以降の言語学は、構文論と意味論の世界に明け暮れた。
抽象的な記号論の世界は、私にとってはまさに「記号から記号へのメリーゴーランド」であった。
この30年間で機械学習の世界が格段に進化した。
コンピュータによる言語習得はいかにして可能か。
機械学習の進化という必要不可欠なプロセスを経て、ようやくたどり着いた。それが「記号接地問題」である。
本当に、身体から独立した記号として言語を理解したり話したりすることができるのか、コンピュータに本当の「意味」がわかるのか、という疑問が生まれてきた。
機械学習の進化によって、あらためて「言語とはなにか」が問われるようになったのだ。
言語を覚え、使うために、果たして身体経験は必要なのか?
なぜヒトだけが言語を持つのか
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本書は、「言語と身体の関わり」を考えることで、ヒトの「言語習得」の謎、「言語の起源と進化」の謎に迫っていく。
そして最終的には、「言語の本質とは何か」という核心問題〜エベレストの山頂〜をめざす。
「この挑戦の鍵」となるのが「オノマトペ」である。オノマトペこそ言語の起源であった。
オノマトペは特殊なことばのように見えて、実は言語の普遍的、本質的な特徴を持つ、いわば言語のミニワールドであり、「記号接地問題」を解決する鍵になるのではないか。
じつは、オノマトペに限らず、ことばが《しっくりくる》という感覚をわれわれは体験する。ことばが《浮く》という体験もする。
どうやら記号=ことばには《接地感覚》というものがあるようだ。
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