感知融合の道徳教育一「生命に対する畏敬の念」授業のパラダイム転換
数学者の櫻井進は『雪月花の数学一日本の美と心をつなぐ「白銀比」の謎』において、「日本人の脳」の中核には数のリズムがあると指摘し、日本人が愛する5・7・5の「数」や「形」の奥にある日本人の伝統的価値観の謎を解明している。
●山本尚『日本人は論理的でなくていい』
また、『日本人は論理的でなくていい』の著者である元日本化学会会長の山本尚名古屋大学特別教授は、戦後日本で「意識的思考を排除する」教育が廃れ、「考える」教育が行われた点を批判し、「ソロバンの答えは『出る』
のであって、答えを『出す』のではない」と指摘している。
また、「矢が的に『当たる』のであって、矢を的に『当てようとする』のでは当たらない」「道理という言葉は論理的思考では決して解釈できない」「道理を原点とする『自粛』という新型コロナウイルスに対する日本人の対応は、内向的、感覚的、非論理的な日本人の性格(民族性)で見事に理解できる」「単に情報を『知る』ことと、心に響くように『識る』ことは違う」と指摘している。
「臨床の知」「神話の知」を活かし、心に響くように「道理」を「識る」感知融合の道徳教育こそが求められている。松尾芭蕉は「格に入り、格を出でて初めて自在を得べし」と喝破したが、形から入って「以心伝心」で師匠から「伝燈」を受け継いできた、歴史的に継承されてきた文化伝統である道徳的価値という「不易な縦軸の教育目的(樹木の”芯”)と世界的潮流を踏まえた「流行の横軸の教育目標」(樹木の”断面”)をいかに調和的・包括的に構造化・体系化するかが、今後の道徳教育の理論的課題である。
主体的な活動や体験を通して「持続可能な社会の創り手」を育成し、「道徳性の芽生え」の2本柱である知的な力と情意的・協働的な力を「感知融合」の視点から、いかに相互循環的に育てていくかが今後の道徳教育の実践的課題であり、「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」を実現する道徳教育の理論と実践の往還を深める必要がある。
●「生命誌」「曼荼羅」から「生命に対する畏敬の念」を深める視点
20世紀はヨーロッパを基本にした進歩史観を科学技術の発展が支えた時代であったが、21世紀に入り進歩史観と現代科学技術の組み合わせが持つ欠陥が浮き彫りになった。
ダーウィンの適者生存の進化論を超えた「歴史物語を読み解く知」「対話で作り上げていく知」として、中村桂子が「生命誌」、鶴見和子が「南方曼荼羅」「自己創出」「内発的発展論」、ノーベル化学賞を受賞したプリゴジンが「散逸構造論」「自律的秩序形成機能」という新たなパラダイムを提唱したことは、「生命に対する畏敬の念」を深める画期的な視点を提示している。
19世紀末に南方熊楠が考えた曼荼羅論と20世紀末にプリゴジンが考えた散逸構造論、カオス理論は形態的に同位性があり、南方が研究した粘菌を媒介した社会科学と自然科学、共通性と何ものも排除しない多様性、生と死が結ばれる世界の不思議さを「感じ、気づき、見つめ、深め、対話し、協力して働きかける」感知融合の道徳教育によって、「生命に対する畏敬の念」を深める従来の道徳授業のパラダイムを転換する先駆的授業を開発したい。
道徳教育における「対話」の在り方については、ユネスコで文明間の対話を提唱した服部英二氏と鶴見和子氏が対談した『対話の文化』(藤原書店)が必読の書である。
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