日本独自の「祈りプロジェクト」の発信一人の幸せをお互いに祈り合う心一
「日本を語るワインの会」がアパ会長邸で行われ、米テンプル大学医学部主任教授の豊田吉哉氏、日本維新の会の衆議院議員・和田有一朗氏、石清水八幡宮権宮司の田中友清氏、「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀賞を獲得したジャーナリストの小笠原理恵氏と招待された。
●和製アニメの世界的人気の理由
京都市八幡市にある石清水八幡宮は、平安時代の貞観元(859)年の清和天皇の即位の翌年に、都の南西部の「裏鬼門」を守護する神社として創建された。開いたのは空海の弟子の行教という僧侶で、神仏習合の宮寺だった。正式名称は石清水八幡宮宮寺で、先祖代々僧侶をしながら神職も兼ねる形で受け継がれてきた、日本で一番神仏混淆が進んでいた場所だった。
伊勢神宮に次いで皇室からのからの信仰をいただいた神社としても知られている。田中氏の四代前までの先祖は僧侶でもあった。田中氏の父の恒清氏は石清水八幡宮の宮司であり、神社本庁の総長でもある。
戦後の世界の平和維持は国連が中心となったが、利権団体である国連はウクライナ侵攻に対応できておらず、SDGsの17の目標も整合性が取れていない。田中氏が考えているのは、日本の地域社会の中で重んじられていた「人の幸せをお互いに祈り合う心」を世界に向けて発信するという事だ。
東久邇宮国際文化褒章を受章し、ホテルニューオータニで盛大な授賞式と演奏家が行われた和太鼓・津軽三味線日本一の演奏家・木村善幸氏(髙橋史朗塾第3期生)の演奏とトークショーを石清水八幡宮を皮切りに全国の神社で「祈りプロジェクト」(田中権宮司の発案)として展開していきたい。
田中氏は(髙橋史朗塾「祈りプロジェクト」(長澤勇哉実行委員長)の協力のもとに)立場を超えて祈り合うことによって、人権の本質につながる価値として、人の幸福を規定する世界宣言を日本主導で発出することを目指している。
日本思想の根源にあるのは、人知を超えた尊い存在であり、人間はそれによって生み出されたものの一部だという考えに基づいている。だから出過ぎた真似をしない。人が人を支配したり、正義の名の下に人が人を滅ぼすことをしたりしてこなかった。
今、宮崎駿や新海誠等のアニメーション作家の作品に世界中の人が夢中になるのも、そのストーリーの根底に日本のこの思想があるからであり、それは実は世界的に普遍的な価値観につながるものだからではないだろうか。
●明治維新によって失った本来の神道に立ち戻る
田中氏は明治以降に確立した国家神道に疑問を感じ、京都大学の「こころの未来研究センター(現 人と社会の未来研究院)」の研究員として、実証的な研究を行ってきた。するとやはり古くからの神道は明治以降のものとは異なり、そのために日本の国が歪んできたことが分かった。
幕末や明治維新の歴史を改めて検証していくと、神道に関して実証的な研究ができない環境が日本にあり、1970年後半までは歴史が正確に語られず、プロパガンダに近い主張がまかり通ってきたことがわかってきた。それ故に研究者も育ってこなかったのである。
ここでもう一度原点に立ち返らないと、日本人が何を失ってきたのかが分からなくなる。田中氏は神社界に直接訴えるのではなく、学問の世界と国連を通して神職の人々に自らの研究を伝えている。明治維新に異議を唱えると、最初は「国賊」とまで批判されたが、次第に理解されるようになってきた。
世界の原始的宗教における祭礼を概観すると、仮面など装飾や踊りは異なるが、根本の死生観は非常によく似ている。これらも踏まえ、日本でもかつて梅棹忠夫氏が提唱したような「日本総合文化センター」を作り、京都や奈良などで商売の道具と化して破壊されつつある日本文化を守る必要がある。
労働は原罪に対する罰であり、働かない事が神の祝福となる。その分、社会に奉仕などの形で貢献する必要があるというのが、キリスト教の考え方である。一方、日本では労働は神仏や先祖、世の中に仕えることであり、仕事をすればするほど、自分も周囲も幸せになるという考え方である。
だから日本人は世界的にも勤勉だと言われてきた。しかし今の日本の若者は働かない。雇用しても連絡なく欠席し、また出勤しても、パワハラが怖くて強く𠮟責できない。これはまさに教育の問題と言わざるを得ない。