「チーム学校力」が学校を変える
かつて明治図書から季刊誌『感性・心の教育』を創刊し、私が編集長として「宮台真司をぶっ飛ばせ」という刺激的なテーマについて対談した明治大学の諸富祥彦教授が、”「チーム学校力」を高めるカウンセリング”という、極めて示唆的な編著を出版したので、その序章の内容について紹介したい。
●教師は「チーム」になると、ものすごい力を発揮する
<教師が個人個人でばらばらに動いている間は、学校は今一つ力を発揮できない。しかし、教師が「チーム」で一体になり、『一つのチーム』として動き始めると、ものすごい力を発揮する。教師チームの連携がよく取れている学校ほど、生徒にも、保護者にも、うまく関わることができる。教師チームが本気で力を発揮し始めると、カウンセラー個人の活動など、吹っ飛んでしまうくらいのすごい力を発揮する!>
勿論、一人ひとりの教師がカウンセリングの力量を高めることも大切なことだ。しかしむしろ、個々の教師の得意技や持ち味を生かして、「教師チーム」として、様々な角度から子供たちの関わっていったほうがずっとうまくいく。ではなぜ、教師チームになるとこれほどまでに大きな力を発揮するのか。それは「学校」が「臨床現場」として持つ特徴に関わっている。
その利点の一つには、「いろいろな立場の人が様々な角度から」子供を見て関わっていけることにある。担任教師もいれば、教科担当の教師もいる。部活の顧問もいれば、養護教諭、スクールカウンセラー、教育相談担当、生徒指導担当、特別支援教育コーディネーター、校長や教頭、用務員のおじさん等、実にいろいろな立場の大人が、それぞれの視点から子供に関わっていくことができる。
そして、「それぞれの立場の大人の目に映るその子の姿は、どれも違っている。子供がどんな姿を現すかは、相手との関係によって違ってくるからである。これは大変な強みである。
学校では、いくつもの視点から、子供の姿を捉えることができる。そしてそこから、友好な対応策が見つかる場合も少なくない。これは、カウンセラーであれ教師であれ、個人では到底不可能なことである。
教師がチームになると大きな力を発揮する第二の理由は、チームのメンバーで役割を分担し、幅の広い関わりが可能となることである。例えば、いじめれらている子に対応する場合、話をその子に聴くのは養護教諭やスクールカウンセラー、事実確認をして学級での対応策を練るのは担任、保護者への対応を考えるのは学年主任、といったように、「役割分担」をして、それぞれの役割や持ち味を生かした、多様な幅の広い関わりをすることが可能になる。
ある子供と関わっていると、「この子には、こういう大人も必要だし、こういう大人も必要だ。またこういう大人も」と様々な「ロール」が浮かんでくることがある。学校では、チームとして、役割分担しながら一人の子供に様々なロールをとって関わっていくことができる。これも、どんなに優秀な教師であれカウンセラーであっても、一人では到底不可能なことである。
●何が教師の「チーム力」を妨げているのか
教師はチームになると、カウンセラーなど、とてもかなわない「ものすごい力」を発揮する。教師の「チーム力」こそ、日本の学校の最大の財産である。例えば、学校が荒れ始めた時、教師集団が一丸となり、チーム力を発揮することで、何とか対応することができる。一人では、どんなスーパー教師でも不可能なことがある。そんな困難な問題にも、「教師チーム」になると、対応できるのである。
残念ながら日本の学校の「宝」であり「財産」である「教師のチーム力」は十分に発揮されてきたとは言えない。何が原因なのだろうか。一つは、教員の忙しさである。確かに教員は忙しいが、忙しさを理由に学校教育の質を落としてはならない。
多忙化を防ぐために教師の仕事の効率化・合理化を図ることは必要である。しかし、教育の根幹をなす重要な部分まで合理化してはならない。
「教師のチーム力」の発揮が妨げられている二つ目の要因は、人事考課の強化である。「校長に評価されたい出世志向の強いグループと、校長からの評価を諦めたグループとに分かれてきて、出世を諦めたグループの先生方のやる気がすっかり失せてきた。その結果、40代の管理職候補の教師に仕事が集中するようになってきて、つらそうです」というのである。
教師のチームワークを揺るがす三つ目の要因は「若手教師の急増」である。人事計画の失敗もあって、30代前半と20代の教師が急増している。教師集団が30代前半より下の「若手グループ」と40代以降の「ベテラングループ」とに分断されている学校も増えている。
あるベテラン教師は、20代の教師が半分以上を占める学年で勤務していると「エネルギーを奪われてしまう」と語る。「若い教師との関わり方が分からない」と嘆くベテラン教師が増えている。
●日常連携とシステム連携が「チーム学校力」の両輪
「チーム学校」における教師同士の連携の両輪は「日常連携」と「システム連携」である。中でも「教師同士の連携」の柱の一つは、「学年の教師同士もしくは管理職」との「必要に応じての日常連携」である。
例えば、難しい保護者と対応する際、担任だけで対応すると「言った/言わない」の論争になりがちである。そこに教務主任や管理職も加わって対応すると、雰囲気が一変する。担任の負担は格別に軽くなる。
子供への対応も保護者対応も難しくなってきているこの時代、「教師同士の支え合い」が教師にとっての「いのちの綱」である。
教師の「日常連携」には限界がある。日常連携では多くの場合、仲のいい教師同士は支え合い、そうでない教師は孤立する。孤立した教師がうつ病になることも少なくない。
担任がたまたま専門機関との連携に通じた教師であったり、そんな教師と仲が良かったために、ある子供は救われ、そうした「運」に恵まれなかったある子供は放置されたままになる。そうしたことがしばしばある。
そこで大きな意味を持ってくるのが「システム連携」である。システムでの連携には「教育相談部会」や「特別支援部会」といった常設の部会における「校務分掌」に基づく「連携」と、個々の子供のニーズに基づいて臨機応変に結成され開催される「チーム支援」とがある。
システムでの連携が活発になってくると「取りこぼし」がなくなってくる。「チーム支援」は、学校を変え、教師同士の関係を変え、専門機関とのつながりの形を変える。その結果、多くの子供が救いのチャンスを手にすることができるようになる。
●「援助的リーダーシップ」を発揮して「弱音を吐ける教員集団」を作ろう
教師同士の支え合いは、教師のメンタルヘルスを維持する上でも重要な意味を持っている。そのとき、主任クラスの教員や管理職が「援助的リーダーシップ」を発揮できるかどうかが大きい。
特に中学校は学年単位で動くことが大きいが、学年の雰囲気が「弱音を吐ける」雰囲気になるかどうかに最も大きな影響を与えるのは、「学年主任に援助的リーダーシップがあるかどうか」であることが分かっている。学年主任が「私も、この学年、ちょっと困ってるんですよね。皆さんはいかがですか」と、自分自身の困り感を自己開示できると、他の学年教師のメンバーも「実は私も…」と援助を求められるようになりやすい。
教師受難のこの時代、「同僚に上手に助けを求める力」=「援助希求力」を発揮できるかどうかが、教師人生を左右する鍵を握っている。「同僚同士で支え合える学年団」や、「お互いに助け合える学校」をどうやってつくっていけるかが、これからの学校づくりの鍵を握っている!「上手に助けを求めることができる力」(援助希求力)は、この「教師受難の時代」をサバイバルしていくための「不可欠の力」なのである!