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ありのままでいいかな?

ここのところ、スランプなのだ。というのか「私は物書きに不向きなのではないか」と悩んでいた。

ライフワークで書いて某所に出しているエッセイも全く進まない。noteすらも書けない日々が少しばかり続いた。

そんなときに取り出して眺めるのは、私に物書きの手ほどきをしてくださった作家であった恩師の形見だ。今は亡き恩師から残された"形見"は、その作家先生直筆の一通のお手紙だ。しかし、お返事をさせていただいた矢先に、作家先生は持病で亡くなられた。もしかしたら、私からの返信は読まないままに旅立って逝かれたのではないかと思うのだが、確かめるすべもなく。

さて、私が今回、スランプに陥ったのには、理由がある。一人息子が消息不明になって久しいせいか、あるいは、離婚というつまずきがあるせいなのか、それとも、幼少時から愛情を受けて育っていないせいか、闘病生活を余儀なくされているためなのか、手放しでカラッと明るい文章が書けないことである。物書きとしてこれでいいのかという理由だ。

恩師からの"形見"となったお手紙を取り出してみる。

「美穂さんの原稿には勇気をもらっています。さまざまな困難なことにぶつかっても、前向きに生きていこうという姿勢に敬服します」と綴られている。

その作家先生とふたりきりで個人的に深い会話をしたことはなかったというのに、先生は私の原稿から"行間"を読み取ってくださり、私がたどってきた悲しみや、直面している苦しみを解ってくださったのだ。その上で「困難なことにぶつかっても、前向きに生きていこうという姿勢に敬服する」とおっしゃってくださったのだ。

ありのままを受けとめてくださった恩師。私もありのままで、まずはnoteに向かおうとパソコンの前に座った今日。

ねぇ、ありのままの私でいいかな?こんな文章でも書き続けること許されるかな?

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