[映画]ベーグルとニヒリズム
前回に引き続き、映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」の魅力を語ります。
さて、一つ前の投稿にも記した通り、私がエブエブにおいて最も触れたいのは、ニヒリズムについてだ。この映画の最も核となる部分に、ニヒリズムという思想がある。ニヒリズムというのは、日本語で虚無主義と言って、簡潔にいうと、人生に意味や価値はない、とする立場のことを指す。それを視覚化したのが、主人公エヴリンの娘、ジョイと、彼女が作り出した、ベーグルである。
私自身は、自分を虚無主義者だとはあまり思っていない。その思想とは少し近いがずれている、と言う感覚が近い。他人の人生が無価値であるとか、無意味であるとか、そう言った思考は持っていない。それでも、自分の人生は何か、この世界はなんで存在しているのか、私はなんのために生きているのか、そういう漠然とした疑問が小さい頃からあり、ずっと考えていた。でも、やはり答えは見つからない。いずれ死ぬとわかっていたら、どんなに楽しいことでも、意味や価値が見いだせなくなってしまう時がある。それはとても苦しくて、自分ではどうすることもできない孤独に陥る。子供の私にとって、易々と口に出せることでもなかった。実際、答えの出ない問いを考えても無駄だと言ってくる大人もいたが、それは哲学を批判することになるのでは?と思ったりもして。哲学自体にも意味がないと言われればそんな気もするが、まあ私は苦しむと分かっていながら、なんだかんだそういう思考をするのが好きなのだと思う。
「この世の全てをベーグルに載せた時、そこには何もなかった。何も重要じゃないなら、自分に対する苦痛や罪悪感が消える」と言うジョイの言葉とベーグルそのものは、まさに私の心にあったモヤモヤする塊が、言語化され、視覚化された瞬間だった。ジョイはこの「何も重要じゃない」を英語で"nothing matters"と表現している。ジョイが涙を流しながら語るこのシーンは、とても心に響き、思わず涙がこぼれた。彼女の涙には確実に苦しみが含まれており、自分も同じ苦しみを知っているから。ちなみにこのシーンは、ラストのエヴリンの言葉と対比している。最後にエヴリンとジョイが、泣きながら抱き合うシーン。エヴリンが、"nothing matters"とジョイに言う。これはジョイが言っていた言葉と一致する。しかし、同じ意味ではない。何も重要じゃないからこそ、どうやって生きていってもいい、それこそが自由であると。消極的ニヒリズムから、積極的ニヒリズムへの転換を意味しているのだ。この場面について、娘の葛藤が簡単に解決してしまうのは綺麗事だと批判する声を多く見かけた。ただ、ジョイにとっての一番の救いは、彼女の考え方(ニヒリズム的な思考)を否定されることなく、寄り添ってくれる人物が現れることだったと個人的には解釈している。前の記事にも述べた通り、ニヒリズムは、厨二病、思春期特有の思想、などと、社会的には否定されがちな傾向にある。私も初めてニヒリズムという言葉を知り、その思想に対するSNSやネットに書かれている批判的な反応を見てショックを受けた。決して投げやりにこの世に意味はない!どうでもいい!というような思想ではないからだ。この世の生きづらさや、理不尽さ、不安定さ、そういったどうしようもできない壁に直面し、この世界はいったい何なのかと考え抜いた結果に垣間見えた虚無を、そんなに易々と厨二病なんて言葉にまとめられたら、それこそ生きる気力を失ってしまう。
実際私もエヴリンの言葉にはとても救われた。私はこの消極的ニヒリズムから積極的ニヒリズムの思考の転換には、すでに自ら辿り着いてはいたが、やはり、その根本にある意味や価値を見出せないと言う思考は変えることが難しい。だからそれを受け入れてどう生きるかが重要であると、私は考えている。意味や価値がないのなら、学歴や周りからの評価にこだわらず、自分がやりたいことに時間を注げばいい。どうでもいい、"nothing matters"を逆手に取って、どうでもいいならなんでもできる、と考えることで、私は楽しく自由に生きられるようになったのだと思っている。正直私はその転換のきっかけとなった瞬間を覚えていない。ただ私にとっての救い、ここでいうエヴリンのような存在は、おそらく映画だ。中3あたりから映画にハマって、明らかにそういう転換が徐々に自分の中で起こったように感じている。映画には、普段目を瞑ってしまうようなこの世の問いや人間の本質、自分は無視することのできなかった現実での疑問が、映画の中では向き合わなければいけなくなる。やはり映画って良い。
すみません、話が脱線してしまった…
マルチバースという世界観についていけなかったと言う意見も多数見られたが、もうそこは人それぞれ。いろんな考え方に出会えるので、他人の映画のレビューを読むのは大好きだ。人生観って、本当に人の数だけある。それを体感できたことも含め、私はエブエブが好きだ。私はなぜか昔から、マルチバースみたいな世界を意識して生きている。今している一つの選択も、無数の選択肢の中から選んだ一つであり、一瞬一瞬に別の選択をした世界が繋がっている。そんなことを考えて、たまに一時間くらいパラレルワールドの世界を考えてしまう笑例えばつまらない授業の最中、今ここで席を立ったら、先生が怒って、クラス中が私を見て、私は教室を出て、その後の人生はこうなって…みたいな。暇人かって思われそうだが、昔からの癖。もうしょうがない笑
私はこの映画の感想で、主人公であるエブリンではなくジョイに焦点を当てた。やはり自分と重ねてしまうのは、同じくらいの年代であり、母親からの幸せや願望の押し付けを感じてしまう自分に似ている部分があったというのもある。私のどうでもいい心情を書いただけの感想になってしまった。完全に個人的な解釈のもとで感想を書いたので、異論をたくさん聞きたいところでもある笑
とにかく好きな映画について長々と語れて満足です😊