【菩薩とは?】
【菩薩とは?】
『菩薩』とは何でしょうか?
大辞林に、こう書いてあります。
「最高の悟りを開いて、
仏になろうと発心して、
修行に励む人。
初めは前世で修行者だった釈迦をさす名称であったが、
のちに大乗仏教では自己の悟りのみをめざす声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)に対し、
自利利他の両者を目指す大乗の修行者をいう。」
菩薩とは、
『菩提心を持つ者』
のことです。
『菩提心』について、
『菩薩を生きる――入菩薩行論――』(著者 シャーンティデーヴァ 翻訳者 寺西のぶ子 監修者 長澤廣青 バベルプレス)
の中に、こう書いてあります。
「思いやりのある寛大な心で、
他者の頭の痛みを、
和らげたいと願うだけでも、
その功徳は限りない。
されば、衆生一人ひとりの、
終わりなき苦痛を追い払うという願いが、
果てなき功徳をもたらすのは、
いうまでもない。
(中略)
他者の救いとなろうと考えるだけで、
仏陀を敬うよりも大きな価値があるならば、
衆生に幸福と利益をもたらす
実践についてはいうまでもない。
衆生は苦しみから解き放たれたいと願いながら、
苦しみそのものを追い求める。
喜びを願いながら、無知であるため、
敵と同じように喜びを滅ぼす。
けれども、喜びを持たぬ衆生を、
幸せで満たしてくれる者、
苦しみ悩む衆生の、
いっさいの苦悩を断ってくれる者、
無知の闇を追い払ってくれる者。
これほどの徳があるだろうか。
そのような友がいるだろうか。
これほどの功徳があるだろうか。
恩を返す者が
賞賛に値するのであれば、
求められずとも善を行なう、
菩薩については、いうまでもない。
さげすみを持って、
質素な食べ物をわずかな人に与える者が、
篤志家と称えられる。
一時の施しが、半日分の食事でしかなくとも。
されば、自らの願いの最高の成就となる、
至福の菩提の比類なき喜びを、
数限りない衆生に久しく与える者、
この者たちが篤志家たるのは、いうまでもない。
釈尊の後継者たる、寛容の心を持つ者に、
邪心を持って接すれば、
悪意を抱いた時間に応じて地獄に留まると、
釈迦牟尼は説く。
しかし、喜びに満ちた献身の心を抱けば、
力が充実し、豊かな結果がもたらされる。
厳しい苦境にあっても、菩薩は決して、
誤りをもたらさず、自然と徳が積まれる。
心にこの貴い宝石を生じる者に、
私は礼拝する。
敵にすら至福をもたらす、幸せの泉たる者に、
私は帰依する。」(19頁〜24頁)
「救世者の菩薩を喜び、
仏陀の後継者の十地を喜ぶ。
あらゆる衆生に幸せを与えんとする、
発心という海のように大きな善、
衆生に利益をもたらすあらゆる行動。
このようなものに、大きな喜びを見出す。
(中略)
生きとし生けるものすべての喜びに役立つため、
私は今、この身体を引き渡した。
殺そうと、見下そうと、打とうと、
好きなようなするがよい。
もてあそばれようと、
冷笑の的にされようと、
私の身体はすでに差し出したものだ。
何を気にすることがあるだろう。
衆生を傷つけない限り、
私に何をしても構わない。
彼らが私のことを思うたびに、
彼らに必ず利益がもたらされてほしい。
私に対して、
衆生が怒りや尊敬を感じるのなら、
それが常に、
彼らが善や願いを達成するもととならんことを。
私を面と向かって侮辱したり、
害を加えたりする者すべてが、
私を非難し、中傷したとしても、
悟りという幸運に恵まれんことを。
私は、よるべない者の庇護者に、
道行く者の案内人になりたい。
水を渡りたいと願う人々の、
小舟に、筏に、橋になりたい。
土地を求めてやまぬ者の島に、
光を求めてやまぬ者の灯火になりたい。
休む場所が要る者すべての寝台に、
使用人が要る者の下僕になりたい。
(中略)
地や天のように、
他のあらゆる力強い要素のように、
数限りない衆生にとって、
私はいつも、さまざまな食物の源、生命の大地でありたい。
生きとし生けるものすべてが、
苦しみをことごとく越えるまで、
空のように果てしなくどこまでも、
生きる糧でありたい。
過去のすべての仏陀が、
心の覚醒をもたらしたように、
菩薩の教えが、
一つひとつ学ばれるように、
私も衆生の利益のために、
菩提心を発し、
菩薩戒を一歩ずつ、
たゆまず学ぼう。
優れた知性を持ち、
喜びに輝いて菩提心を生じた者は、
それをさらに高めんと心を高揚させ、
賛美の言葉を唱える。
『今日、私の人生は実を結んだ。
人としての生をまっとうした。
今日、私は仏陀の種姓となり、
仏陀の子となり、後継者となった。
ゆえに、あらゆる意味で、
この位にふさわしい行いをしよう。
この高潔で非の打ちどころのない種姓を、
汚したり傷つけたりはしない。
なぜなら、私は、塵の山の中で、
貴い宝石を見つけた、盲人の人間のようなものだから。
そのような不思議な偶然から、
私の中に菩提心が生まれたから。
菩提心は、衆生の虐殺者である閻魔を消し去る、
涅槃への妙薬であり、
さまよう者を貧しさから救う、
宝の埋まった豊かな無尽蔵の鉱山である。
どんな病も必ず治す、
最高の薬であり、
生の道をさまよい疲れた人が、
憩う木である。
道を見失いさまよう者すべてを救う、
万人の橋であり、
煩悩から生じる苦悩を鎮める、
悟りの心という、昇る月である。
さまよう衆生を覆う無知の霧を消散させる、
力強い太陽であり、
聖なる教えという乳が撹拌されてできた、
こくのある、なめらかなバターである。
生きとし生けるものよ!豊かな充実感を味わいたいと願う、
輪廻の道を歩む旅人よ、
ほら目の前に、この上ない喜びがある。
終わりのない旅人よ、ここに充足の至福がある。
ゆえに私は、今日、すべての救済者のもとで、
衆生を呼び、菩提へと招く。
悟りの境地に達するまで、現世のあらゆる喜びへと招く。
天や阿修羅などの方々が、みな喜ばれんことを』」(50頁〜61頁)
私たちには、
真理を伝える義務があります。
若い芽を育てる義務があります。
菩提心を持ち、
菩薩道を歩みましょう❗️
『若い芽を 育てて築こう明るい未来』
(推薦図書)
『菩薩を生きる――入菩薩行論――』
(著者 シャーンティデーヴァ 翻訳者 寺西のぶ子 監修者 長澤廣青 バベルプレス)
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