ついに写真を見ても涙しなくなる日が来ました
ついに2022年も8月を迎えましたね。
お昼のラジオでジェーンスーが言っていました。
「今年もあと5ヶ月と考えると、時が過ぎるのが惜しくなる。一方、この暑さがいつまでも続くのであれば、いっそ明日10月になってしまえとも思う」
禿同。
と思いながら、私にとっての8月は特別。
人生のほぼ全ての時間を一緒に過ごした、愛すべきわんこが元いた場所に帰ったのが
2016年の暑い8月のことでした。
1ヶ月前までは元気に川辺を駆け回り(齢16と11ヶ月)、好きなものを食べ、所々に老いを感じながらもめちゃめちゃ元気!という我が家の元気印。
朝日を待った末か、体調を崩して病院に連れて行って一晩、あっという間に息を引き取りました。
ペットを迎えたご家族の誰もが、「うちの子だけは歳を取っても変わらず元気」と、半ば盲目的に思い込んでいるように思います。
我が家もその一派で、今年も健康診断で褒められちゃったよ〜なんて抜かしていましたが
身体は相応に歳を重ねていたようで、The 老衰とのお見立てをいただきました。
彼女を迎えたのは私が5歳の頃。
お隣のおばあちゃんがポメラニアンを飼っていて、前を通るたびに門のギリギリまで駆け寄って愛嬌と涎を振りまくその姿を見ては
うちも飼いたい!絶対に自分がお世話するから!
と言い張ること暫し。
末っ子特有の粘り強さで迎えた生まれたばかりコーギーは、鼻筋を渡る真っ白な一本線が眩しい生意気盛りの女の子。
穴あきの白い段ボールの中で所在無げな彼女を家まで連れ帰った日のことをぼんやりと覚えています。
当初のやる気宣言は塵のように消え、ほぼ母がしつけや日常の世話の指揮をとっていた自覚がありますが(自分も仕事しながらなのに、ほんとすまん)
5歳違いのお姉さん気取りで3密を共有しました。
朝夕の散歩やご飯、ハレの日のご馳走づくしのテーブルの下、親と喧嘩した日の寒い玄関ホール。
あまりにも多くの記憶を共有していたので、お別れの日から暫くは帰宅がとても辛かった。近所の道や家の中、すべての風景の中に彼女を感じてしまうからです。
ただどこにいようと涙は流れるので、
1週間は昼夜問わず涙し、
3ヶ月は街中で犬の姿を見ると涙し、
3年は同じ犬種を見かけて涙しました。
そして今年、彼女が去ってから6回目の夏を迎えます。
恩師の訃報に際し、当時の思い出がないかと久しぶりに自分のFacebookを開いたところ
いくつかのアルバムの中から、高校生の私が撮り溜めたわんこの写真が出てきました。
久しぶりに見かけた彼女は粗い画像の中でとても元気そうで、思わずにっこり。見ないように意識していたけれど、時間薬が効いたようですんなりと「久しぶり」と言うことができました。
時を超えて思い出を届けてくれた高校生の私、グッジョブ。デジタル世代に生まれて良かった。
あまり写真を撮らない性分ですが、ちゃんと相手や風景を撮りためて、どこかに保存しておくのって大事みたい。その時必要でなくても、必要になった時に思い出せるように。
もちろん忘れることなんてないけれど、時間薬は良くも悪くも効きが強い。意外と細かい記憶は剥がれ落ちているようで
そうそう鼻にこんな模様あったよね、胸元の肌触りはこんな感じだったっけ、と
3Dの彼女が脳内に甦ってきてくれました。
今でも恋しいし、会えるならば…と思うこともありますが、ついに写真を見ても涙しなくなる日が来ました。
時間薬、ありがとう。同じように他の痛みや悲しみもゆっくりと輪郭を溶かしてくれますように。
デジタル社会、ありがとう。忘れたくない思い出をこれからも同じ鮮度で留めておいてください。欲を言えば、まだ傷の癒えてない時に「1年前の今日は…」とか言ってサジェストしてくるのは勘弁。
かしこかしこ。