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大切な場所の存在

 毎日暑い日が続きていますが、いかがお過ごしでしょうか。
夏は活動的になりやすく、ワクワクする日も多いですが
日差しが強すぎて即断念する私です。

はじめに

 表題のテーマについて早速
 皆さんにとっての大切な場所がそれぞれあると思います。
端からみたら古びた場所かもしれない、廃れた景色なのかとも。
今はカタチ無き跡地にコインパーキングになっている土地かもしれない。
それは自身の実家や、昔仲間と多くの時間過ごした場所
当時の恋人とよく通った場所など。
 そのような誰かにとっての大切な場所について考え、猛省したことを今日は記事にします。お付き合いください。

@市営無料動物公園

 今日、市営の動物公園にいってきた。現地に着くまで知らなかったが無料だ。土曜というのに全然人がいない。閑散とした場所だった。
私は関東の政令指定都市に住んでおり、この動物公園もこの晴天に恵まれる週末にはお客さんがもっといてもよいが、ほぼいない。把握する中では15組程度ほどしかいなかった(現場15時)。
 この動物公園には初めて行ったのだが、来場客のいない理由は
園内が汚い/獣臭がすごい/客寄せパンダとなる動物不在…だと私は思う。
 園内の汚さでいえば、
~各動物が展覧されているガラスが曇り激しく汚れている
~柵に蜘蛛の巣がもりもりついている
~観覧する場所が落ち葉だらけ   といった具合だ。
 たぶん私はもうここには二度と行かない。
最寄り駅まで徒歩15分~市営バスで15分程度~停留所から徒歩10分にある動物公園。その時間と労力をかけてはコスパが悪いのだ。 
そもそも「飼育員に会っていないな?」と気づいた。
土曜にほぼいない。全員週末で休みなのだろうか?
その後観覧しながら5名ほどの飼育員に会ったのだが、活気はなく不愛想。ペンギン小屋の清掃をしている。亀の檻の池の掃除をしている。しかもこの暑い日に作業着はお揃いの長袖だ。餌をあげに回っている不愛想な作業員もこの長袖作業着で移動している。なぜこの激アツ日に長袖なのか…不思議だ。話が逸れました。
 今のご時世、ただ動物を展覧しているだけでは人は来ないだろう。
攻めるための予算がないなら、無料でなく入場料をとれば良いのに?と考える。
運営費は市税を源泉にしているのだと思うが、市民としては正しい予算の使われ方をされていないと思う。習慣的な効果検証を期待したい。
 とにもかくにもお客さんに支持されていないのだ、この動物公園は。
あれこれ考えながら、動物たちを見て回る。
 しつこいがもう一度だけ言う、私はもうここには二度と行かない。と考えている。

ある中年夫婦の姿

 鳥をやたら展示しているスポットが園内にある。
そこに差し掛かったときのことだ。ある中年夫婦が柵の外からジェスチャーを交えながらずっと中型白インコをあやしている姿に出くわした。
 柔和な表情で、夫と思しき人物はほんとに良い笑顔で妻と笑ってインコを一緒にあやしているのだ。
 そのルートを通り過ぎ、奥の動物の展覧に行って、帰ってきてもまだあやしている。かれこれ60分はあやしているのだ。
 その夫婦の姿はこの中型白インコをまるで家族と思っているように私には見えたのだ。
 その時に気がついた。
 この夫婦にとってこの動物公園は大切な場所なのだ、と。
 私にとっては汚いし、獣臭いし、なんて工夫のない動物公園なのかと
思うが、きっとこの夫婦にとってはこの中型白インコとたわむれることができる大事な場所と時間なのだろう。
 
「こういう努力のない動物公園は淘汰された方がよい」と軽く考えた自分が恥ずかしくなった。
 私にとっては初めて来た場所で、努力が見えない組織に価値はないと思っている。
 この夫婦にとってのこの場所は大事な場所で、在るだけで良いのだ。

そこにはその愛でる動物の存在だけで十分なのだ、きっと。
 
私にとっては価値の低いものが 他者には大切な価値高いもの。
当たり前だが、改めて大切な考えに気づくことができた動物公園。

おわりに

あれ、今になるとなんだか私にとってもこの動物公園は大切な場所に感じてきた… 不思議ですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました!
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