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宗教が一層台頭する時代になるんじゃないか

はじめに

 ものや価値コトに溢れた昨今。
自動車も所有→共有へ
SNSの普及により、芸能人はブラウン管の向こう→身近な人へ
結婚がゴール→選択へ
医療の進歩により、人生は100年時代へ
などなど、あらゆるものや価値が変化している。
 そこで考えたことを記したい。
これだけのものや価値、そしてコトが溢れる世の中では
飽和社会になっている実感がある。
この先、宗教がさらに価値をもつ時代になるのではないだろうか。

 ちなみに、この内容を書く意図は
 「宗教を勧誘ツールとした今後来るであろうだましに注意されるべし」
という誰にも依頼を受けてはいないが、いずれくるであろうだましへの予防使命感をなぜだか感じて記している。ご容赦ください。

私は神様を見たことがない

 皆さんもきっとそうであると信じたい。私は神様は見たことがない。
とはいえ神様は今もこの世に存在している と根拠なく信じている。
亡き祖先を自分を守ってくれている
お盆にはなるべくお墓参りをして、手を合わせる
神社での参拝マナーをなぜか重要だと思ってシミュレーションしている。
お寺のお坊さんや僧侶をなぜだか崇める
お遍路さんを尊敬する~~~ 
等々、神様に近い存在の人はなぜか信じてしまっているのだ。

なぜ神様を信じるのか?
宗教に頼るのか?
考えてみた。
正解がない世の中に息苦しさを感じる時があるのだ。
何をもって自身の道が正解なのか?
無論、当然自分で決めるしかない。だが誰かに決めてほしい時があるのだ。
私は、とても弱い。

 そんなとき人間は宗教や神様に救いを求めるのだろう。
そう、答えが欲しいから。これで良いんだという答えが。
昔の話で恐縮だが、20歳前後の学生時代に将来への不安から自律神経失調症を患い、たまたま引きこもり生活を半年間過ごした。
その時に宗教の本は何十冊も読んで、救いを求めていた経験がある。
モノに溢れ、答えのない世の中で生きていくのは楽なことではないと感じる。

 だいぶ脱線してしまった。話を戻すと、
神様を見たことはないのだが、お釈迦様の前では嘘をつけないのだ。
お釈迦様の教えは正しい となぜか私は思ってしまうのだ。
そこに根拠はない。あるとすれば
 なぜ正しいと思うのか? → 神様だから。という自身も不明な論理。
答えがなくてお詫びの言いようがない…

おわりに

 私は宗教関連で悪意のある団体からだまされた経験は幸いにもない。
これからの時代、宗教の教えがさらに広まり台頭する時代になると思う。
そんなときに、私たち個人の心が救われれば良いが
悪意のある団体にはだまされないようにお互いに注意したい
ですね。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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