デジタルになると「あたたかみ」が失われるのか?
よく、メールが登場して今はLINEやチャット文化になったら、手紙のあたたかみが見直されているとか言われたりする。
また、神社のお賽銭なんかもキャッシュレス化が進んで、スマホアプリからでも投げられる仕組みが出来たりしたら、あの「チャリーン」が味わえないから、それはそれで味気ない、なんて聞いたりもする。
さらに言うと、アナログレコードが再ブームだが、ストリーミング全盛時代になって、逆に手間をかけて針を落とす行為だとか、プチプチノイズにあたたかみを感じるなんて話も聞いたりする。
で、自分はそんなことを全く思わなくて、手間がかかるのは面倒だし、お賽銭もなんならアプリで投げたいし、チャットやLINEでも手紙のようにあたたかみを感じることは可能なんじゃないか?と思ったりする。
もちろん、デジタルの世界は0か1かの世界だし、そのぶん白黒ハッキリしているということはあるだろう。アナログでしか味わえないグレーな世界が「あたたかみ」だというのはあるのだろう。
そして、そんなグレーな世界があたたかみならば、そのグレーにひと手間をかけることに時間を費やすことがもったいないと感じてしまうのは心に余裕がないからなのだろうか?それとも一度味わった便利さを逆戻りさせるのに抵抗があるからだけだろうか?
そして、その便利さも普段の生活の中に自然と入ってくるものがいい。LINEがあれだけ普及したのも、手紙よりも断然早いしダイレクトだし、メールなんかよりも自然な会話に近いからなんだと思う。
自分がApple製品を好きな理由は、その便利さが自然と入ってくるからだと思っている。例えばAirPodsなんかは耳に装着したら勝手にペアリングされて再生準備完了しているし、外したら再生が止まる。体の動きに連動して自然と機械が寄り添ってくれるというか、そんな振る舞いが好きなのだ。
自分がAirPodsに求める大部分は、この便利さであって、音質はそれほど求めていない。よく、他の製品と比較されて音質は劣るからちょっと、、、なんて声をよく聞くが、便利さや体験を求める自分にとってはあまりそこは重要じゃない。
スマートフォンが登場した当初は、アプリの設計思想がスキューモーフィズムという考え方が全盛だった。といっても自分でもその思想を深く理解しているわけでは無いんだけれど。
自分の理解では、アプリ上で出来る体験をよりリアルな体験に近づけるといった感じだろうか。3Dで体験できたものを無理やり2D化したというか。なので初期のYouTubeのアイコンはテレビだったし、Booksという読書アプリでは実際の本棚を模したUIになっていた。本を読む体験も実際にページめくりをしているようなUIは今も残っているし、DJアプリなんかはリアルな機器そのままを2Dの画面上に再現しているなんてものもある。
何を言いたいかよくわからなくなってきたが、とにかくデジタルになったら、冷たい感じがすると思われがちだが、いやいや、あたたかみも、良い体験も出来るんじゃないか?ということを思うわけである。
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