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#929 コンピュテーショナル・フォトグラフィーとAI絵画

写真もビデオもiPhoneだけに集約するようになって随分と経つ。写真だけで言うと、もう10年以上。ビデオカメラも子どもたちが生まれたばかりの頃は撮ってはいたけれど、iPhone5ぐらいの頃からもう使っていない。

というのも、編集が面倒だったり、Googleフォトでデータを一箇所に集約できる便利さを味わってしまったから。一度これを体感してしまうともう元には戻れない。

加えて、近年はスマホカメラの進化が凄まじい。1cmにも満たない厚さの筐体に、小さなレンズとセンサーを仕込んでいるので光学的に限界に近づいているのでは?なんて言われているようだけど。普通の利用ならもう専用機はいらないし、最新モデルならばブロ利用にも耐えうるような機能もある。

日本のメーカーが最先端を走っているミラーレス一眼やコンパクトデジカメと比較したら、単純にレンズの大きさやセンサーサイズの違いにより「やっぱり写真を撮るなら専用機だよね」なんて声もある。

ただ、スマホとカメラ専用機の最大の違いはその頭脳にある。要は「賢さ」が違うのだ。小さいという弱点を頭脳で補っているというか、撮った写真を再構成して最も良いものに作り直してくれる機能はカメラ専用機にはない。

例えば、日本の病院ならどこにでもあるCTという装置。略さず言うとコンピューテッドトモグラフィーと言う。人間の体を輪切りに撮影して、それをコンピューターの力で再合成することによって、立体的な画像に作り変えるという技術。

CT同様に、スマホカメラでも一度のシャッターで複数の画像を撮影して、最も良い写真に再合成するという考え方。これをコンピュテーショナル・フォトグラフィーと言うらしい。

これを行うには賢い頭脳が必要で、近年のスマホの進化がここに最も注がれているといっても過言では無いだろう。

例えば集合写真。今までは誰かが目をつぶってしまう写真はよくみかけた。これも複数枚撮影し、全員が最も良い笑顔の写真を組み合わせるなんてことはスマホカメラではたやすい技術なはず。

加えて、「ばえる」ような写真や動画を学習して、ユーザー好みの写真や、「いいね」が付きやすい写真を提案することも簡単に出来るようになっている。

そう考えると、見たものを見たまま写すという写真の概念が全く変わって、より絵画的(=こうだったらいいな)になってきているのかもなんて思ったりもする。ということは、近い将来AI絵画との融合もありえるのか。

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