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言葉が創る世界

今日ふと閃いたこと。

私が、自分が苦手とすること、できないと口にする時は、いつも弱い自分を守り、出来なかったり目標達成できなかったときの逃げ道を設定しておきたいからなのかもしれないと思った。

つまり、言い訳をしてしまう、ということだ。

たとえば、私は昔から朝が苦手でスッキリ起きれないことに悩んでいる。

これは、もちろん元々の体質もあると思うけれど、実はそれ以上に深い深い意識では、朝が弱い人というイメージを周りに流布したり、起きられないという言い訳をすることで、守りたい自分、触れられたくない何かがあるのだと思った。

朝起きられないことで、朝練に遅れても仕方がないとか、モーニングルーティンが続かないとか、たとえば、そんなことだ。

わたしのサボり癖や怠惰さを、朝弱いという隠れ蓑で陳腐に覆っていただけなのかもしれない。

しかし、それだけならまだしも、これは実に厄介な別な問題を内包している可能性があることにハタと気づいた。

というのも、最初はなにかしら自分を守るための盾として使っていた言葉が、いつしか強い性質をつくり、本当の自分の一部のようになってしまうからだ。

そう。

言葉が本当になる

というメカニズムだ。

たとえば、

朝起きるのが苦手

と言い続けているうちに、無意識にその言葉が蓄積され、そのようにふるまううちに、本当にそうなってしまうというという。

私は今日この重大なことに気づき、ショックを受けて、以後、言葉の扱いには十分配慮しなければと思った。

自分を守る盾だったはずの言葉が、ある臨界点に達して自分自身を逆襲する矛になってしまうのだとしたら、それはあまりにも悲しいことだ。

言葉の扱いは難しく、いつまでたっても母国語の日本語でさえうまく扱いきれていなくて、最近はミスコミュニケーションばかりが目立つ日々だけど、
意識して改めるようにしていかなければ、きっといつまでたっても同じことの繰り返し。

「言葉は諸刃の剣」というように、取り扱い注意なわけだが、だからと言って、誰もが日常的に使うものだから、それを避けて通ることはできない。

だからこそ、「使い方」が肝なのであって、うまく扱えるようになったらきっと、とんでもなく「すごいこと」が待っているのだと思う。

言葉の力は、極めたら、おそらく、無限大。

というわけで、今日まで自分を守ってきた言い訳をこれからは極力減らして行けるように意識して、別のもっと良い言葉に変えていこうと心に決めた。

言葉は、良くも悪くも、確実に現実を創るものなのだから。


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