デジタルとアナログのバランスを考える
私がnoteを書く目的の一つに、「構えグセを直す」というのがあって、
これは過去に何度か書いている
noteを始めてはやめて、やめてはまた始めての繰り返しなのだけれど、
ここ数日はスマホから更新しているせいか、なんとか続いている。
そして、今日は実験的に、PCからは久しぶりに書いているのだけれど、
前よりはだいぶマシになってきたけれど、やっぱりスマホから書く方が構えは出ないな、と思った。
そして、その理由はなぜか?を考えた時に、
「全体像が見える」、つまり画面全体のスクリーンが広がることによって、できることも広がるからなのかもしれないと思った。
それによって、良くも悪くも、意識までも拡張されるような感じ。
たとえば今、これを閉じて気になったことをすぐに検索することもできるし、ディスクトップの画面にすることもできる。他のnoteの記事を同時に開くこともできる。書くこと以外のオプションが、何かとあるのだ。
特に私のディスクトップは結構な散らばりようなので、それも気掛かりの一つで、つい意識がそっちに持って行かれてしまうのだと思う。
同時進行といえば聞こえはいいけれど、PCで書くと意識が散らばりやすいモードの私に接続してしまうっていうことだと思う。
その点スマホは、書いているときはいくつも画面を広く見れないから、
視野が狭まって、ある意味、目の前のことに集中できる。気を散らす要素が一気に減るというわけだ。
また、PCだとスクロールするだけで、なんとなく表現がおかしいところだったり誤字脱字だったりをすぐに発見して調整できるけれど、スマホだとそれができないから、あまり細かいところに気にせずに進められるのがすごくいいなと思った。
要するに、使う機器によって、思考の使い方や意識も変わるということだ。
そう考えると、どんなツールを使うかはとても大事で、使うものによって
パフォーマンスもまるで変わってくるということかな。
よくホリエモンが、スマホはじめ、最近のAIは拡張機能なんだよ!みたいなことをいっているけれど、本当にそうなのかもしれない。
便利なメカを前にすると、時々抵抗が出てくる自分がいるけれど、うまく使いこなせたら、自分の能力もアップしたような気持ちになるかも?
私はデジタル人間ではいえないけれど、かといってアナログだけで生きていくのは、もうこれだけ便利になった世の中であり得ないと思っている。
たとえば「スマホ脳」という本があって、スマホを見続けることの有害性に警鐘を鳴らす人たちもいるけれど、完全にゼロにはできないと思うし・・。
そこでスマホとかを前向きに捉えて、ある種の人間の拡張機能だとしたら、
いかに使いこなすか?ということが、テーマになってくるはず。
ちなみに私はスマホから書く時には入力はふつうに入力しているので、今度は音声入力にチャレンジしてみたいと思っている。
話すスピードと文字が一致して文字に落とし込まれていったら、すごく楽だと思うから。これには訓練が必要かもしれないけれど。
デジタルでできることも増えているから、デジタルでできることの可能性もうまく活用しつつ、自分なりの心地よい着地点を見つけてうまく付き合っていきたいな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?