ラグジュアリーとはヨーロッパのビジネス戦略であり、日本がグローバルな視点で経済を牽引するにはラグジュアリー戦略上、新しい言葉が必要。
下記のNOTEを拝読して私が想うことを今日は述べたいと思います
安西洋之 先生のトピックスから
今回の私の考えるところですが、
ラグジュアリーというのはある意味、
ヨーロッパの王族、貴族文化に携わってきた
文化の上に成り立つ
ヨーロッパのビジネス戦略のような
気がしています。
どういうことかというと
結局、
アメリカや日本、その他の国が
ラグジュアリー戦略と称して試みたとしても、
ヨーロッパブランドの真のラグジュアリーの
文脈には乗っからないような気がするのです。
なぜならば文化と歴史が異なるから。
それは安西さんが記されていた、
国によってラグジュアリーの
捉え方が違うということにも
裏打ちされているような気がします。
他国がいわゆるラグジュアリーという名の下で
ビジネスを行ったとしても
エルメス、グッチ、シャネルなどの
ラグジュアリーのそれと
異なるのではないか?
なぜならば、
ラグジュアリー文脈を作ったのも
ブランド創立がヨーロッパ経済と文化が
バックグラウンドあることで、成立する
構造になっているから。
故に、他国が
同じ文脈でビジネスをすること
自体が難しいのではないかと。
今あるluxuryブランドは18世紀末から19世紀から
台頭してきたわけですが、
その多くが王家や貴族という
ヨーロッパの文化に携わっている
歴史的背景があるわけで、
その流れを感覚的に腹落ちしているブランドが
作り上げた
ビジネスのやり方だと思うのです。
となると
そもそもラグジュアリーとしての捉え方が
国によって異なるとなとするならば、
ヨーロッパのラグジュアリ産業に
入りこうもうとしても
最終的になんか違うよね?
みたいな感が出てくるような
気がしてならないのです。
ラグジュアリー経済圏を
ヨーロッパ経済が
自分たちを既得権益確立する上での
武装ビジネスというのでしょうか。
ラグジュアリービジネスは大変興味深いですし、
学ぶべきところはたくさんあると思うのすが、
それを各国がやろうとすると
ちょっとしたズレが出てくることが往々にある。
だったら日本は伝統、民藝、伝説、信頼といった日本ならではの文脈で
“ラグジュアリー“という言葉を使わずに
日本が戦える経済カテゴリーを作ることで
世界を牽引できる気がしてしております。
その一つには日本かグローバルに牽引しうる
ラグジュアリーに代替できる言葉を
用いる事が必要だと考えます。
アメリカが現代アートを経済カテゴリーの
牽引国になっているのも
アメリカの社会&歴史的背景に
マッチしたからではないと思うのですが
如何でしょうか?
ではなぜラグジュアリーブランドを
欲するか?
問われた時に
私は下記のように思うから、
ラグジュアリーな購入する際は
そのラグジュアリーと理解している言葉の中の
本質的要素が含まれた商品を
購入したいと思うからであり、
それを1番上手く落とし込んでいるのが
ヨーロッパのラグジュアリーブランドだという
ことになります。