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自己紹介/夜を明けさせる

 はじめまして、鷹田すずめです。
 自己紹介をしようと思うのだけれど、自己紹介って、すごく難しい印象があります。職業や年齢、趣味だけで推し量れるものが、本当に”私”を示すのか、いつも少し疑問に思ってしまうからです。何を伝えれば、どう伝えれば、あなたの中に”私”という形が生まれるんだろう。


 では今回は、小さい頃の、自分だけの、とくべつな体験の話をしようかなと思います。


 我が家は職人仕事の家で、毎日家じゅうに、父の金づちの音が聞こえていました。その音を聞きながら、家の人の来ない2階の物置部屋にいるのが、私のとくべつな時間でした。そこは、屋根へ出られる小窓があって、朝からお昼にかけて、日がさんさんと入ってきます。
 家族の中でも、自分だけが少し浮いているような、自分だけが少し仲間外れのような気持ちを持っていた私は、その物置小屋にいるのがたいそう好きでした。守られているような、隠れているような、自分だけの聖域があるような感じがしたからかもしれません。
 私はビー玉や宝石、アクリルでできたキラキラした貝殻、そういう透明なものに惹かれる私は、日の当たる窓辺でずっとそれを眺めていました。本を読んだり、窓をあけて雪の香る風を入れたり、絵を描いたり、自分だけのひとり遊びは、私の心をしんしんと作っていった気がします。


 私を私たらしめているエピソードなんだけれど、どうだろう。うふふ。




自責的・自虐的思考

 このエピソードにもあるけれど、私は幼い頃から、自分だけが仲間外れで、私が悪いので、できれば消えた方が良いような、そういう自責的・自虐的な思考を持っていました。

 この思考を基礎に持つことは、大変厄介だと感じています。幸せになりたいはずなのに、悲しい出来事や、嫌な扱いをされることに、大変妙で居心地の悪い”安心感”を得てしまったり、自分が本当は逃げたいのに、その扱いを受けることが正当なんだと思うことで自分を罰したりする。私は、いい人間関係の場に身を置けない困難さを得ることになりました。
 もちろんいい人間関係もあります。「すずめちゃんを大切にして!」としっかり怒ってくれた友人や、ごはんを食べられなくなった私に、あったかいおにぎりを握ってくれた友人、彼らが私に温かく気づきを手渡してくれたから、今があるのだなぁと感じています。

 ただ、やはり上記の困難さは、結果として精神的ないくつかの病を生むことになりました。心や体は、思考とは別にしっかりと全体を解っていて、限界アラームを鳴らしてくれたのだと思います。

夫のASDと、私のカサンドラ症候群

 私の病気がある程度落ち着き、就業もできるようになったころ、10年以上お付き合いをしていた夫と結婚しました。夫は、とても感覚がするどく、物を見る姿勢が優しく、愛することが好きな人だと感じています。
 しかし、その頃の夫は、うつ症状が激しく、ASDの特性も角が立ち、手の付けられない困難さを抱えていました。自分が病気であった流れもあって、それが彼の本質ではなく”症状”であり”特性”なのだと理解することはできました。でも、毎日の激しい暴言や試し行動には、なかなかに心が削られるものです。
 結果、私は「カサンドラ症候群」のような症状が出るようになりました。

・・・

 夫の診断を経て、投薬、カウンセリング等のさまざまな対策を講じて、できるだけ学び、試し、この闘病生活もだいたい5年が過ぎました。

 今、夫は、以前のような荒々しさはほとんどなく、対話ができ、自分の心と向き合うことでより優しくなってきたように感じます。

 この期間、夫の抱える様々な問題を通して、私は私の問題と向き合わざるを得なくなりました。というか、夫の抱える問題の様相と、自分の問題の様相は、実はかなり似ていたのです。(これは5年目に気づきました。最近!)夫も、私の問題を通して改めて自分を探ることができたりと、相乗的に私たちは変化していったのだと思います。

 「自分なんか消えてしまえばいい」という呪いによる引力の強い感情に、どうにか「そんなことない、あなたは素敵だ」と、「あなたはあなたのままでいていいんだ」と、温かい毛布をかけてあげること。
 これが、目下一番の課題であり、私たちが毎日どうにか手を伸ばしていることです。

夜を明けさせる

 「明けない夜はない」と言いますが、生まれてから35年、まだ夜は明けません。最近、少し空が白んできたかもしれない、という段階な感じがします。

 私がnoteで綴りたいのは、この自虐思考と闘いながら、夫とともに闘病生活を過ごした生活の記録です。

 5年も経ってくると、その間に何があったのかどんどん忘れていってしまいます。人生において、とても重要な気づきを幾つも幾つも経たはずなのに、それが記憶から消えてしまう感じがするのです。それは、気づきが自分の血肉になったという証明かもしれませんが、たくさんの感情が生まれ、涙を流したあの気づきたちを、すっと水に溶けさせるような、少しもったいない気がしてしまいます。

 また、八方塞がりでどうしようもないとき、インターネット上にある体験談は大変参考になりました。ASDによるモラルハラスメントはたいへんにパートナーの心を削るので、離婚や訴訟の情報が多くありました。ただ、なかなかASDのパートナーと良好なコミュニケーション関係を築けた事例は少なかった印象があります。パートナーが完全に支援者となる場合、別居して距離をとる場合、と様々パターンがあるかと思いますが、私たちの場合は、お互いがお互いのパートナーとして自立することを目指して生活を進めています。
 私たちのある意味では悲惨で、ある意味では愛のある生活の記録が、もしかしたら今苦しんでいる誰かの肩を抱けるかもしれないと思うと、それは少し希望のような気がします。

 この記録を書くことは、私自身のカウンセリングでもあると思います。まだまだ自責的・自虐的な私だけれど、それでもこれが、自分自身を抱きしめる術となりますように。

 夜を、明けさせるために。

鷹田すずめ

#自己紹介

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