自我と改心の方法
昨日の終盤に話されたH山君かS野さんに指摘された事が肝心で、それをさらに深く探る事なのです。
しかし、Zoomで皆さんは、表面の現れ「心込めているから良い」と発した事に対して囚われ広げ重要視され議論されていましたが私が今まで指摘していました所とは異なるのです。
S野さんはH山君から摘されたその瞬間から、S野さんが「心込めているから良い」と返答するまでの瞬き程の間の心の動きが最も重要な事であり「これを探るように」と私は何度もお伝えしているのです。
●【H山君の指摘】 →→<この間>→→ 【S野さんの返答】
上の <この間> の時の動きを大まかに探ると
1、【H山君の指摘】をS野さんが聞く。
S野さんの動き
2、先ず本心(御魂)では、反射的に指摘された事に対するプライド心や自負による反発感情が出る。(これは無意識であり、これも自己防衛になる)
3、次に頭脳において思考し、自らを正当化し理由を当て付ける。
(言い訳、理由付け、嘘偽りを言い取繕う、責任転嫁し人のせいにするなど)
4、「現れ」3の考えの言葉を発する。「心込めているから良い」と返答
※2の段階で、感情が抑制や制御できない場合は怒りとなる。
今回は怒りではなく反発感情
(人や状況により瞬時に判断して制御している・・これも本能)
このような御魂(本心)と頭脳、言動の段階を経ての動き現れがあるのです。
皆さんは、心動いた後の「現れ」のみを重視して言動を戒めようとしても余り改善の効果はないのです。
2の御魂から出た感情が大元であり、この感情を修正しなければその後の現れは絶対に変わりません。
つまり、出てくる悪しき本心の気質、思考、思想、感情を正しく改める事(変える)これが改心なのです。
今回は、対人より指摘された時の心の動きですが、指摘された時以外では感情も出方も異なるのです。
単純にこれが全てではなく、様々な悪しき感情がその時々に出るのです。その感情に対して対処、改善する事が御魂磨きなのです。
例として
【今回のような、対人より指摘された時の心の動き】
●指摘された時等に御魂から湧き出る感情
・怒り(ムカつき)、反発感情、これはプライド心や自負から生ずる、
ショック(衝撃)など
●これら御魂から湧き出た感情から現れる言動などの現れ
・暴力、暴言、言い訳、理由付け、嘘偽りを言い取繕う、責任転嫁し人のせいにする、泣く、落ち込むなど
【人と接した時など状況が異なる場合などの現れ】
● 威張る、自慢(自分の功績なども)、知ったかぶる、威圧する、
この原因は心底での「慢心(自信過剰)の場合や保身による自己防衛の時」などに現れる。
これら自身の現れの言動をその都度意識し、その奥の心の感情の原因を深く追求する事で次第に捉えられるようになってくるものですが、自身でも意識しつつ他者の皆さんからも指摘し合い考える事を行う事でより的確に感じ取り改善されてくるのです。
今回の例では、
S野さんが「心込めているから良い」と返答された事に対して自分自身で、何を思って言ったのか?、どういう心境で言ったのか?、なぜそのように言ったのか? などのその時の自身の奥底の心境を探るのです。
※ 指摘された瞬間に、心底では指摘に対して聞き入れずに反発し正当化して指摘を跳ね除けて理由を付け返答したのです。
これは自身のプライド心からの動きであり、これらは無意識に条件反射の如くに動くのです。
この指摘された一瞬に沸き出た奧の心(本心)の感情の出方を変更するのですが、これは、「現れ」の後から受け入れたり、修正されても遅くあまり効果が無くもう変わらないのです。
なので、その湧き出た瞬間が最も大切であり、時間が経ってしまうと、後からその時の感情が薄れて思い出せなくもなりますので、出来るだけその事後直ぐに気が付き、感情の出どころを探り修正する事が大切なのです。
これらは、自分自身が、自身の本心の感情に揺り動かされているのです。
その為、修正方法として対人の時などの自身の感情を注意深く意識する事、そこに自身の感情を入れない事、客観的に捉える事で、人からの指摘などの話をよく聞く事、そして私的感情抜きで自身に厳しく判断し対応する事なのです。
そして突発的な瞬間にでも、悪い感情が出無くなる事を目的としているのです。
●自身の感情を注意深く意識する事
●先ずは注意や指摘を全員が聞き入れる体制である事が必要です。
●自身の感情を入れない事、客観的に捉える事
●自身から出た感情の出どころを深く見つめ原因を見つけ修正する事。
これが心の本質が変わる事であり、改心なのです。
心から神に向き合い信じて、素直に謙虚に正直に、悪に屈せず己が悪しきを認めるいさぎよさ、これらが誠の「力」であり剣である。
この神力により自らの心(霊魂)の「鏡」を祓い清める事で、身体を健全に健やかに美しい曲の「玉体」を保たれる。これが大和魂であり、神より与えられし尊き「三種の神器」の働きなのです。
●神示(222)では
「剣と鏡とまつらなならんぞ、まつはれば霊(たま)となるのざぞ。霊なくなってゐると申して知らせてあろがな・・」
これはこの事であります。
●神示(521)
もう化けては居られん。化けの世はすんだのであるから、人民ウソしてはならんぞ。嘘見分ける鏡与へてあるぞ。早う改心なされ。仏の取り次ぎ、キリストの取り次ぎ、天理、金光、大本の取り次ぎさん、早う改心結構ぞ。アラーの取り次ぎさん、道教も同様ぞ。人間はいつも創られつつあるものぞ。これでよいと云ふことはないぞ。ゴッドも仏も神も皆その通りざぞ。世の中も、大千世界も亦同様ぞ、つくられつつあるのぞ。愛と云ひ真と云ふも皆方便ぞ。何れも誠の現われであるぞ。はうべんの世はすみてハウベンの世となるぞ。そのハウベンの世すみて誠の世となるのぢゃ。善悪なき世となるのぢゃ。判りたか
これは、嘘、偽りの出でる本心を根本から改めて、「 誠 = 言 十 成 」の人と成る為に、正しき(言葉)と(成す事)の言動に隠れた中心の「 十 」の 鏡(霊魂)を磨き据えて、純粋に心から神に向き合う事により「真の誠の人」をなるのです。
これが「十中の十」です。
最後に、
自分に対しての自分の拘りが頑固さでありプライドであり慢心であり、これが不要で最も恰好が悪い事であると思い知る事なのです。
出来ない事、出来ておらぬ事、分からぬ知らない事を恥ずかしがらずに素直に認め、自慢せず、取繕わず、見栄を張らず、威張らず、頑固にならず、恰好付けず(色気を捨て)、慢心せず、取違いせず、プライド心を捨て、これらの見苦しき不要な鎧を脱ぎ去り、心に纏(まと)わずに、自分に対し素直に謙虚に正直になり、表裏の無いありのままの自分の心を包み隠さず本心を全てさらけ出す事。
これが、心晴れやかに軽くなる事であり「富士は晴れたり日本晴れ」という事なのです。
裸一貫の、御魂(心)の輝きこそが最も崇高な強者であり、最も神がお喜びになられる御魂なのです。
お伝えしている事を、思い込みや取違いをされている方も居られますので、気が付いた人や理解した人が、まだ気づいていない方に御指導ください。
追加
自分に対しての自分の拘りが頑固さでありプライドであり慢心であり、これが不要で最も恰好が悪い事であると思い知る事なのです。
出来ない事、出来ておらぬ事、分からぬ知らない事を恥ずかしがらずに素直に認め、
自慢せず、取繕わず、見栄を張らず、頑固にならず、恰好付けず(色気を捨て)、慢心せず、取違いせず、プライド心を捨て、
これらの見苦しき不要な鎧を心に纏(まと)わずに脱ぎ去り、
自分に対し素直に謙虚に正直になり、表裏の無いありのままの自分の心を包み隠さず本心を全てさらけ出す事。
これが、心晴れやかに軽くなる事であり「富士は晴れたり日本晴れ」という事なのです。
裸一貫の、御魂(心)の輝きこそが最も崇高な強者であり、最も神がお喜びになられる御魂なのです。
私のお伝えしている事を、思い込みや取違いをされている方も居られますので、気が付いた人や理解した人が、まだ気づいていない方に御指導くださいませ。
厳瑞