何者

〜とことんカッコ悪くなって、それでもあがけるか?〜 「何者」




平成生まれの作家で初の直木賞受賞作でもある
朝井リョウさんの小説「何者」。前に買って読もう読もうと思って先延ばしにしていました。先日、書棚の整理をしていて、まだ読んでいないことに気づき、
今回はこちらを読了。

就職活動がテーマの作品。主な登場人物はこちら

・にのみやたくと(二宮拓人)@takutodesu
→主人公 光太郎とルームシェア中
・コータロー(神谷光太郎)@kotaro_OVERMUSIC
→軽音サークル元部長 拓人とルームシェア中
・田名部瑞月@mizukitanabe
→光太郎の元カノ。最近留学から帰ってきた。
・RICA KOBAYAKAWA(小早川理香)@rika_0927
→光太郎と拓人のマンションの上の階に住んでる。ツイッタープロフィールが
”/(スラッシュ)”ばかりの人
・宮本隆良@takayoshi_miyamoto
→理香の彼氏。同棲中。
・烏丸ギンジ@account_of_GINJI
→元拓人と同じ劇団に所属していた。今は大学を中退し劇団漬けの毎日。

最後のバンド活動や留学からの帰国等々、
それぞれなりの充実した大学生活に一旦のくぎりをつけ、
就職活動に向かっていく5人の大学生の物語です。

主人公の二宮拓人(以下拓人)から見た世界で物語が進んでいきます。
物語中でも、”観察が鋭い”と書かれているように、
拓人独特の斜めな観察者目線に、
観察者気質のある私は、まるで自分が拓人になった気分で読み進めてしまいます。

物語中では、リアルな場面での会話の他に、それぞれの気持ちや本音などが、
ツイッターでの投稿として描かれています。純粋な感想から、表には出さない本音や、ついには裏アカウントまで。登場人物の本質をツイッターを通して描く展開が新鮮で面白かったです。

○何者になりたいのか?

物語は、それぞれの大学生としての生活に区切りがつき、”就活生”として、
みんなで面接対策をするところから始まります。

だが、次第にそれぞれの本音があらわになっていきます。
その過程で、登場人物達は、リアルやツイッターで
少しずつ「何者」を演じます。

しかしツイッターの140文字で表現される「何者」は、
必ずしも自分とは限らない。

そのことを、ある場面で表したセリフがあります。

”だって、短く簡潔に自分を表現しなくちゃいけなくなったんだったら、そこに選ばれなかった言葉のほうが、圧倒的に多いわけだろ。だから、選ばれなかった言葉の方がきっと、よっぽどその人のことを表しているんだと思う”

140文字では語られないところにその人の本質がある。
このあたりから物語は一気に動きだします。

○大体、反面教師だけでは気づかない

ついに、5人の中で田名部瑞月(以下瑞月)の大手企業への内定が決まり、お祝いパーティーが開かれることになりました。

そこで彼らの本音が一気にあらわになっていきます。
作者はそれを文中で、このように表現しています。

”言わなくていいはずの言葉が、あの喉をたくさん通っていった。
それがなくたって会話が成り立つような言葉が、いま、この部屋中にいっぱい転がっている。”

このシーンの中で、ギンジとの共作の舞台を企画をしていたが、来月に公演を行いたいというギンジと、もう少し企画を練りたいという隆良との間で方向性の違いがあった。というエピソードが出てきます。そんなギンジを隆良は批判します。しっかり100点にしてからお客さんに出したいと。

そんな空気の中で、瑞月が放ったセリフがカッコいい!

”人生が岐路のようなものだとしたら、自分と全く同じ高さで、角度で、その線路を見つめてくれる人はもういないんだって。だから今までは、結果よりも過程が大事とか、そういうことを言われてきたんだと思う。そりゃあ大人は、結果は残念だったけど過程が良かったからそれでいいんだよって、子どもに対して言ってあげたくなるよね。だけど、そう言ってくれる人はいないんだよ。私たちはもう、たったひとりで、自分だけで、自分の人生を見つめなきゃいけない。(中略)”

そして、いつも冷静な観察者である主人公の拓人は、続けてこのようなセリフを残します。

「頭の中にあるうちは、いつだって、何だって、傑作なんだよな。お前はずっと、
その中から出られないんだよ」

ちなみに、このあと隆良は、ちょっと意識が変わります。
物語の中でもそのような描写がうつしだされています。隆良は、です。


○カッコ悪い自分を認める

このシーンでみんなの意識がパッと変わって、それぞれが「何者」かに向けて
それぞれの就活を踏み出していく。そんなラストシーンへ続いて行くんだな。
私はそう思ってました。

主人公である拓人や、今物語を読んでいる私は、そんなラストを正直期待していたのかもしれません。

なぜなら、それが一番拓人も、今物語を読んでいる私にとっても、
一番楽で傷つかないラストだと思ったから。

拓人も、私自身も。自分に言われていないうちは、
反面教師だということに気づかないものです。

正直、この物語は、ハッピーエンドで終わる感じではありません。
そんなに現実は甘くないんです。

物語のラスト、拓人の携帯の検索画面を理香が見てしまうシーンがあります。
そこには、光太郎の内定先の悪評判が記載されいてるページが表示されていました。

そして理香が言います。


”拓人くんはさ、自分のことを、観察者だと思ってるんだよ。そうしてればいつか、今の自分じゃない何かになれるって思ってんでしょ? みんなやさしいから、あんまり触れてこなかったけど、心のどこかではそう思ってるんじゃないかな。観察者ぶっている拓人くんのこと、痛いって。”

物語の中で、理香の言葉に崩れていく拓人と同様に、僕もまた崩れていました。
それまで拓人に感情移入していた私も同時に言われている気がしたから。


観察だけは得意だと思ってて、自分は何も行動しない。
何者になろうと、もがいている人達を斜めに見まくっていた今までの私。

その人間観察力、それに浸っている自分こそが、他の誰よりも何者だと思っていた。そしてそんな自分を認めてくれる人が現れると確信していた。

カッコ悪くても、それを信じてもがいてる人を
斜めに観察することで、実はそんなカッコ悪いことすらできない自分が、一番
カッコ悪いこと。
それに気付きたくなかった。そんな自分に向き合いたくなかった。

瑞月さんに言われた隆良は、少しそれに気が付いた。
ただ拓人は、反面教師とは気づかなかった。今思えば、拓人が
言ったあのセリフ、それをカッコいいと思った自分が最高にカッコ悪い。

ちなみに拓人は瑞月を好きだったのですが、特にアプローチはせず、その結果光太郎と瑞月は付き合うことになりました。それに対してそこまで悔しい、悲しいといった描写があまりありません。その事実を知ってスッと受け止めたのです。これはいさぎよさでもなんでもなく、拓人はおそらく、”諦めることさえできなかった”のだと思います。そもそも努力できていないから。

もしかしたら、失礼ながら同じように、作者の朝井リョウさんも、
”二宮拓人”を描きながら、拓人と同じように崩れていたのかな・・・と思った。
きっと作者の朝井リョウさんも、そんな自分を刺して欲しくて、
この本を書いたのかな・・?私の勝手な想像です。

そんな拓人(私)に、理香さんが続けます。


”いい加減気付こうよ。私たちは、何者かになんてなれない。自分は自分にしかなれない。痛くてカッコ悪いいまの自分を、理想の自分に近づけることしかできない。みんなそれをわかってるから、痛くてカッコ悪くたって頑張るんだよ。カッコ悪い姿のままあがくんだよ。それ以外に、私に残された道なんてないからだよ。ダサくてカッコ悪いいまの自分の姿で、これでもかってくらい悪あがきするしかないんだよ、もう”


いかがでしたでしょうか?
ちなみにこのシーンでまた、それだったのか〜!という伏線回収があるので、それはぜひ本編を読んでください。


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