教授工学 第5章 なぜ教師は失敗するのか
こんばんは、takabatanです。
今日は行動分析の創始者、スキナーの本からです。
なかなかセンセーショナルなタイトルだし、最初からかなりスキナーの書き口は刺激的なものです。
「学習や教授は分析されていないし、教えること自体を改善するためには、ほとんど努力なされていない」とスキナーは言い切る。
私は心理士ですが、学習支援もしていますが、このスキナーの言葉は…とてもグッとくる言葉です。
教えることが専門ではない分、自分がどうしたらいいかわからない時もあるので、この章に限らず、スキナーの行動分析をどう学習に活かすかとか、ティーチングマシンにはとても興味がありますね。ティーチングマシンについても近いうちにスキナーの著作を読んで書きたいと思います。
スキナーはまず、体罰をはじめとした、嫌悪刺激による統制について書いています。
嫌悪刺激による統制は、完全に不活性な事態を引き起こすとしています。特に教わる側にある特定の情動を引き起こすと。
それは、おそれ、不安、怒り、黙り込みなどです。一度は誰しも感じた事がある情動ではないかと思います。
例えば、テレビはずっと見続ける事ができるのに、学習がそうならないのは、こういった情動が生じてしまうからなんです。
ちなみに、スキナー曰く、嫌悪刺激による統制すべてが悪いという事ではありません。ある意味では自然な統制方法です。
不快なものに対する耐性や処置する技術は、社会的には身につけるべきですからね。
しかし、そのためには嫌悪刺激はせいぜい適度な警告であって、その嫌悪刺激に対する効果的な行動を学習させるものにしつらえられていないと意味がないとも述べています。
これは、嫌悪刺激に限らず、褒めて子どもを育てるという観点でも一緒かなと思っています。何でもかんでも褒めても子どもの行動が社会的に意味ある行動になっていかないなら意味がないです。ただの甘やかしになってしまいますからね。
話がそれましたが、嫌悪刺激による統制はいつでも適していると思われがちだけれども、やはり効果的なものとは言えないようです。
この事を踏まえて、スキナーは効果的な教授に必要なもの、それは、正の強化と語ります。
あ、この章読んでると意外にスキナーは見えない構成概念を使った書き方してる事に気づきますね笑
訳の問題もあるのではないかと思いますが、前述の情動も、スキナーが著しているのは状態ではなく、情動行動だと頭の中で書き換えながら私は読んでます。行動分析なんで。
また、話がそれました。
正の強化をするにあたり、子どもにはある前提条件というか、性質があるとしています。
それは、生まれながらの好奇心、知識愛、生まれつきの学習欲求。
これを満たさない教授が残念ながらはびこっているという事です。
そして、その原因だと思われるのが、教育が言語に頼りすぎているということだと語るのです。
https://note.com/takabatan/n/n5cfba2a907d8でも、出てきましたが、私たちは言語によるルール制御にかなり頼って生きています。便利なんですよね。でも、便利だからといってもそれが効果的なものでない事を問題だという事でしょうね。
では、どうしたらいいか。
比較的強制力のないやり方は、魅力的で注意を引くものである事です。
例えば、教室がとても楽しいものにあふれているならば、入るという行動が強化されるでしょうからね。ただし、学習が強化されるわけじゃないけどね。
大切なことは、魅力的であるという事に加えて、記憶しやすいようにすることです。
なぜかというと、学習を進めてもらうことが目的だからです。
つくづくこの章を読んで感じますが、私みたいな行動分析の人は、常に、「本当に目的の行動を増やすための強化随伴性に自分の支援が組み込まれた形になっているかを問い続ける」という姿勢が必要ですね。難しいけど、トライしてチェックして、またトライして…の繰り返し。
スキナーはこの組み込む事を、「構造化」と呼んでいます。
すなわち、生徒が教えられなくても学習が進むような環境を作ることが大事だという事ですかね。加えて、それが行きすぎないようにするのが支援側の役割です。独力ですべてが理解できるわけじゃないし、社会性も身につけてもらわないといけないですから。
最後にスキナーはこう語ります。
「教授を定義すれば、それが行動がそれによって変化する強化の随伴性を調整すること」なんだと。
子どもたちが、魅力を感じて導入しやすい教材によって、好奇心や知識愛が満たされる体験をすること。
今、教育に求められている事だと思いました!
では、あいもかわらず駄文ですが、この変で。
ありがとうございました!
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