ボクはおそれている
アリアスター監督作品は何度も見たくなる、
言葉だけでなく視覚的なものにも物語になぞった秘密が隠されていたりする
昔、流行ったミッケみたいな世界観があるのが楽しい。
「ボーはおそれている」
この作品を見て自分の奥底にしまっていた感情の
ニキビが出された、まだ潰してはない。
人間が持つ気持ち悪さや脳の奥底の言葉を押し出したような映画でしか表現できないことをするかの監督さんは本当に天才だと思う。
この作品は主人公に共感できることがあり
自分と重なることが多々あったせいで見入ってしまった。
母親にコントロールされている主人公のお話に見えるが人に頼って自分では何も行動できない、他人軸で生きてきた末路みたいなものも感じた。
心配性で最悪な事態を想像することがあると思うがそれが実際に起こってしまうのも共感できるシーンがたくさんあったとおもう。
ただ、やりたくないことには何か突っかかるような出来事が起こると神がやるなということだなと悟り
ここでも架空の何かの意見を頼っているのだ
初めの母親にメッセージを書くシーンでも
自分の名前を書く時に運良くインクが切れてしまう
運良くというのも自分も手紙を書く時にあえて名前を変えたりして正面から言葉を伝えずに他人の名前を借りたり、少し名前を変えてみたりと何かを言及されてもそうやって保険をかけることが実際にある
自分のプロポーズのタイミングや今後どうしていったらよいかを友達に意見を求めたりと、大人になれない子供の生き方をしているんだとすごい精神的に
刺さった。
会社でも上司に言われることだけでしか動かない
そんな人になりたくはないが、現状なってしまっていて自分は何ができるのか、価値があるのかと
未来に不安が募るばかり
原因不明の体調不良に襲われ、精神科に行くよう
紹介状を渡されたが、周りが甘えだの批判するのではという被害妄想で結局行かなかった。
その数日後、動けなくなり自分で精神科に電話して予約しようとするも、半年待ちとの返答で自分の味方はいないんだとここでまた人のせいにしたこと。
これは僕の体験だ
精神を疲れさせて申し訳ございません。
ただこのようなシーンがこの長さで
流れる時間がすごく苦しくなった
生活のあらゆるものが母の会社が作ったもので
それだけで生きている主人公。
他県へ引っ越したとしても、仕送りや繋がりが
あることはまだ親離れできていないということなのだろうか
自分もいい年になってきているが、食べ物をちょくちょく送ってくれる母親。
自分が引っ越したのも母親に負担をかけさせたくないとの思いが強かった、この映画の主人公と同様
片親で長男。
家を継いでと言われて育ったが、
やりたいことがあると俺は家を出た
ただ、それが本当の理由ではないことは自分は分かっている。地元で友達だった4人グループのなかの
1人の女友達を好きになり告白したが振られた、
それをグループの人には相談せず突然に自分が告白をしたため会いにくくなり、その後一切そのグループと会えなくなった。
狭い田舎のため街でふと会うことがあるかもしれない恐怖や後ろめたさから逃げて他県へ来たという理由もあることを隠して生きている。
逃げれば忘れられると思ったが何年経っても
モヤモヤが消えない、関係を崩してしまったことを
謝りたいができてない現状
こういう心の汚れを自分の主観で行動し綺麗に清掃しないとずっと辛い思いをするんだなとこの映画をみて我に返った。
最後の審判で自分が罰せられることのないような
人としての卒業式を迎えたいものである。